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宣教師ザビエルの夢 39

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第三章 キリスト教公認への道のり

四、キリスト教を容認したローマ帝国

キリスト教史の転換点
 西方キリスト教会の暦に従えば、11月で1年が終わり、主キリストの降誕を準備するアドベント(待降節)から新しい年が始まります。1年を締めくくる日曜日には、「王であるキリスト」を祝うことになっています。メシア王イエスの神の国における支配を記念するものです。それは、イエス・キリストの復活と昇天によって死に対する勝利が始まり、やがて終わりの日には完結をみるであろう神の救いの業に対する希望を心に抱く日でもあります。

 以前、ユダヤ人の友人に「メシアとは何ですか」と尋ねたところ、「王だ」という答えが直ちに返ってきました。ユダヤの伝統においては、かつてイスラエル王国を治めたダビデ王を理想の王のかたどりとして仰ぎつつ、来(きた)るべきメシア王を待望してきました。キリスト教会はその伝統を自らの内に引き込みながら、イエスこそが来るべき王であったと宣言し、メシア王イエスの完全な支配の時の到来を切望してきたのです。

 古代キリスト教会の歴史に戻ってみましょう。使徒たちの伝統の継承者、教父たちに導かれて、迫害を乗り越えつつローマ帝国内に定着してきた年月がありました。また、砂漠の隠遁(いんとん)修士や修道者たちによって、霊的生命を保ってきたキリスト教会の姿がありました。そのキリスト教会が4世紀に入って大転換の時を迎えます。コンスタンティヌス大帝の登場です。十字の御(み)旗を掲げて世に躍り出てきた為政者の姿に、「来るべき王」の到来を見た人もいたことでしょう。

 かつてバビロン捕囚に喘(あえ)ぐイスラエル民族は、解放をもたらしたペルシャのキュロス王を、約束された「来るべき王」と見ました。また、ローマ帝国によりイスラエルが滅びいくのをみて、ローマ皇帝を「来るべき王」と見たユダヤ人もいたようです。ですから、303年に起こったディオクレティアヌス帝の大迫害を忍んできたばかりのキリスト教徒にとって、キリスト教を容認する皇帝の登場は、いかに希望に満ちた出来事であったか分かりません。

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 次回は、「コンスタンティヌス大帝の回心」をお届けします。


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