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宣教師ザビエルの夢 38

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第三章 キリスト教公認への道のり

三、修道生活——白き殉教の道

修道制の発展
 変革を続ける修道制の歴史は、多くのことを私たちに語りかけています。古代において隠遁(いんとん)修士が現れ、やがて共同生活を主とする修道院が生まれます。6世紀にベネディクトが新しい修道会を立てると、その会員は「修道士」(モンク)と呼ばれるようになります。13世紀に登場するフランシスコやドミニコとその仲間は「托鉢(たくはつ)修道士」(フライヤー)と呼ばれます。近代に誕生したイエズス会の会員は「神父」(ファーザー)と呼ばれるのが普通です。

 モンクというのは、自給自足の修道院の中で、祈りと労働および聖なる学門に明け暮れる修道者たちで、観想と典礼の生活が中心になります。新たな宗教心の芽生えてくる12世紀のフライヤーは、家々を托鉢をしながら日々の糧を得て、街頭で説教し賛美歌を歌い、都市の聖化に努めます。宗教改革期に現れたファーザーは、使命のあるところ世界のいかなる辺境にも出掛け、宣教に専念し、新たな信徒を獲得し、これを養育するのです。

 修道制の発展をこのように簡単に見ても、現代のキリスト者の行動と信仰の成長過程との共通点が見られます。隠遁修士のように、断食や徹夜祈祷といった苦行に身を投じることがあります。あるいは、祈りと聖なる学門に毎日をささげつつ、完徳の道を歩む修道士のように、典礼と聖書研究に明け暮れる日々もあります。また、托鉢修士のように、家々を訪問したり街頭に出ては、献金を募ったり伝道に努める生活があります。さらにイエズス会士のごとく、世界のどこにおいても派遣された国のために自らをささげる宣教師の生活もあります。

 このように、キリスト者が今日も営んでいる信仰生活の歩みは、まさに修道生活の歴史のすべてを含んでいるといえるでしょう。世界に拡がるキリスト者の歩みの一つひとつは、一個人にとっては、ほんのわずかな人生の輝きであるかもしれませんが、それぞれの献身的な生活の中において、1500年にも及ぶ修道生活の全要素と変遷を、追体験することができるのです。そして修道生活の極みとして出てきた積極的な海外宣教の推進は、自らの信仰の成熟を証(あか)すものであり、未来の生命とみ国への奉仕でした。

 そのような成熟した信仰生活を身につけて、はるばる東洋の果て、日本までやって来た宣教師の代表がほかならぬフランシスコ・ザビエルでした。彼自身の宣教活動の成果はわずかであったかもしれませんが、彼の抱いた願いは後続の宣教師たちによって実りあるものとなりました。また、彼らを通して、東洋と西洋の出会いと異文化間の交流が図られてきたのです。

 若く優秀な人々が、何のためらいもなく故国を離れ、未知の国へと乗り出していったのです。その国の人々のために自らをささげる決心をした宣教師たちの勇気は、おそらく修道生活の歴史を一貫して流れてきた殉教精神からわき出ているのです。

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 次回は、「キリスト教史の転換点」をお届けします。


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