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日本人のこころ 86
井原西鶴『日本永代蔵』

(APTF『真の家庭』307号[20245月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

日本的資本主義の倫理
 今日のようにメディアが発展するのは、統一的な貨幣経済が始まる江戸初期の寛永年間(16241644)になってからです。この時代に活躍したのが井原西鶴や松尾芭蕉、近松門左衛門などの文芸人で、井原西鶴は俳諧と浮世草子(江戸時代の小説)、松尾芭蕉は俳諧、近松門左衛門は浄瑠璃で多くのファンを獲得し、成功を収めます。

▲井原西鶴(ウィキペディアより)

 西鶴は1642年頃、紀伊国(和歌山県)中津村に生まれ、大坂に出て15歳頃から俳諧師を志し、一昼夜の間に作る発句の数を競う矢数俳諧を始め、最高記録は2万3500句も作っています。

 1682年に出した『好色一代男』が好評だったことから、その後いろいろなジャンルの作品を出版するようになり、『好色五人女』『日本永代蔵(えいたいぐら)』『世間胸算用(むねさんよう)』などの代表作を残しています。

 『日本永代蔵』では、日々の暮らしは質素倹約に努め、信心を大切にし、商売では才覚を働かすことで金持ちになれると、具体例を示しながら説いています。全部で30話あり、親から相続した財産に頼らず、自分の能力だけで稼ぎ出すという成功談が3分の2、顧客や人をだました話が3分の1、そして残りが好色や贅沢を戒める話になっています。「誰もしていないことをやる。それが才覚。主人公は町人ではなく、銭金」というのが西鶴の考えでした。

 いずれも本題に入るまでの世間話のようなくだりが長く、西鶴が各地で集めた話を書いています。今で言う雑談で、読者はこれによって当時の世間知を得たのでしょう。

 この時代、仮名草子を使って在家の教化のために分かりやすく仏教を説き、西鶴らに影響を与えたのが曹洞宗の僧・鈴木正三(しょうさん)です。

 正三は徳川家康に仕える三河武士の生まれで、初陣を関ヶ原の戦いで果たし、大坂の陣で武功を挙げて200石の旗本に取り立てられます。しかし、17歳の時に経典を読んでから仏教に傾倒し、ついに42歳で、これからは武士の時代ではないと出家してしまったのです。その後、故郷三河に恩真寺を創建し、執筆活動と布教に努めるようになります。

 僧侶のように特別な学問や修行をしなくても、日常の仕事を修行と思って励むことで、誰もが救われ、仏になれるという世俗的な倫理は、かつて山本七平が「日本的資本主義の倫理」として高く評価していました。

 島原の乱後、正三は天草の代官となった弟の重成の要請で天草に行き、曹洞宗に限らず諸宗派の寺を再興し、仏教の教えを易しく説きながら、農民らの荒廃した心を回復させました。晩年は江戸に移って布教活動を続け、天草住民への重税に抗議して切腹した弟の重成の後を継いだ自分の実子の重辰(しげとき)を後見し、天草の復興事業は軌道に乗っていきます。

▲『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫)

金持ちになる方法
 金持ちになるために西鶴が説いているのは、早起き、仕事(勤勉)、夜なべ、倹約、健康で、これらは今も通用します。52歳で亡くなった西鶴が何度も書いているのは健康の大切さで、高齢社会では特に大切です。

 西鶴は「お金で買えないものは命だけ」という考えから、どうすれば金持ちになれるのかを、金持ちになった人の話を取り上げながら指南します。今でいうビジネスの啓発書のようなものです。人気を呼んだのは語り口の軽妙さで、浮世草子で磨いた筆の才が花開いていきます。

 才覚では、日本橋にあった越後屋呉服店の商売を紹介しています。当時は掛け売りが一般的だったのですが、越後屋は全て現金払いで、手代の分業制、薄利多売という新商法を開発し、お金を早く回転させることで成功しました。

 掛け売りをしていたのは信用ある顧客にだけ売るためで、売上回収までに金利が発生するのでコストがかかって売値も高くなります。小金があっても初めての客には敷居が高かったのです。そんな常識を破り、現金取引で、価格も安くできたため、越後屋は成功し、やがて三井財閥へと発展していきます。

 紀州みかんや塩鮭で財を築いた紀伊国屋文左衛門など、先見の明がある人は新しいビジネスに挑戦しました。その一方で、欲望に負け、遊びほうけて破産する者もあとを絶たなかったのが、経済が急成長したこの時代の社会現象です。

 西鶴が説いた倫理は当たり前のことですが、それを続けるのが難しいと思う人が多いでしょう。成功した人、失敗した人をモデルにしながら、その人たちの生き様を生き生きと描いたのが作品の人気につながります。読んでいるうちに、自分も主人公になれるような気になったのでしょう。

 本当は誰もがその人の人生の主人公なのですが、周りからの圧力や不運の重なりで気分が鬱積したりしていると、思い通りにならないのを恨めしく思いがちです。それは、自分の本来の姿を見失っているからで、むしろ落ち込んだのを幸いに、自分の内面を見つめ、本当はどう生きたいのか、よく考えることです。

 江戸時代の世俗倫理が説いたのは、自分を大切にすることで人も大切にすること。自分の内面が豊かでないと、人を思いやることもできませんから。今に続く経済社会の基礎がつくられた江戸時代は、これからの日本を考える上でも重要です。

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