2024.04.14 17:00
日本人のこころ 85
俵万智『サラダ記念日』
ジャーナリスト 高嶋 久
「いいね」で幸せになれる
高校教師だった俵万智さんが1987年に出した『サラダ記念日』(河出書房新社)は280万部のミリオンセラーに。言葉に対する日本人の関心の強さを思い知りました。その歌が、
「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日
最近のツイッター(X)で万智さんは、「今は『いいね』の数を競うような風潮があるけれど、これはたった一つの『いいね』で幸せになれるという歌です」「なんでもない今日を『記念日』って思えるような瞬間が、訪れますように。その気持ちを五七五七七の小箱にとっておけるのが、短歌です」などと書いています。短い言葉で気持ちを表現する俳句や短歌は、SNSの時代にこそ存在感を増しているようです。
万葉の時代から恋の歌が多いのは、人を愛することで心が格段に深まるからでしょう。高村光太郎は「僕はあなたをおもふたびに 一ばんぢかに永遠を感じる」と詠っています。有限な人間が一番無限を感じるのは「愛」を通してなのです。
早稲田大学で万智さんと出会った恩師の佐々木信綱は、「彼女の短歌は口語でありながら、そのほとんどがきちっと五七五七七の定型リズムに乗っている。字余り、字足らずがほとんどない」と評しています。制約があるからこそ、言葉を研ぎ澄まし、心に近い表現を考えるのです。万智さんはそれを「言葉の技術」と言っています。匠の技のように、技術に裏付けられてこそ感性が輝くのでしょう。
今日風呂が休みだったというような ことを話していたい毎日
「俺は別にいいよ」って何がいいんだか わからないままうなずいている
などを佐々木は「どこまでもからりとして、明るい。…煩悶とか懊悩とか、(石川啄木のような)失恋につきものだった心の状況からまったく自由である」と、自立した女性の変化を感じています。
砂浜のランチついに手つかずの 卵サンドが気になっている
「平凡な女でいろよ」激辛の スナック菓子を食べながら聞く
日常の何でもないディテールで気持ちの変化を表現するのが新鮮で、若い女性に受けた理由だろう。男性は大きな夢を抽象的な言葉で語りがちですが、女性が気になるのは小さなしぐさや出来事。その積み重ねが、結局は人生になるのですから。
生きることがうたうこと
高齢になって感じるのは時間の過ぎ去る速さ。年末が近づくと、もう一年がたってしまったのかと思います。心理学者に言わせると、その理由は感動が減ってきたから。毎日が感動に満ちていた子供時代は、とても一日を長く感じていました。万智さんは「子どもの言葉は、そのまま詩になっているようなことが、しばしばある」と『考える短歌』(新潮新書)で言っています。
「短歌は、心と言葉からできている。まず、ものごとを感じる心がなくては、歌は生まれようがない」(同書)というのは、『古今和歌集』の序と同じです。その上で、「日頃から、心の筋肉をやわらかくしておくことが、大切だ。そうすれば、さまざまな揺れに、柔軟に対応することができるだろう」と。そして、「短歌を作っているからこそ、『あっ』を見つめる時間が、生まれる」と言います。今の思いをどう表現しようかと考えることが、心を柔軟にするのです。
『サラダ記念日』のあとがきで万智さんは「なんてことない毎日のなかから、一首でもいい歌をつくっていきたい。それはすなわち、一所懸命生きていきたいということだ。生きることがうたうことだから。うたうことが生きることだから」と結んでいます。
言葉は物や事に付けられた名札のようなもので、それを読むと背後にある膨大な記憶が映像とともによみがえってきます。人間の長期記憶がそうなっているからです。言葉にして蓄えておくことの大切さが、そこにあります。
一山で百円也のトマトたち つまらなそうに並ぶ店先
よく見かける風景ですが、こうやって切り取ると、日常の面白い一幕になります。
そら豆が音符のように散らばって 慰められている台所
料理をしながら、妻もそんな風に感じるのかなと思います。
竹内まりやさんの「いのちの歌」に、「ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある」というフレーズがあります。「雑用」と言って片付けてしまいそうな日常も、心を込めると嬉しくなり、言葉に表現したくなります。とりわけ、残された日々の少なさを感じるようになると、一日一日を大切に生きていきたいと思います。
男の子を産んだ万智さんの歌、
バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ
赤レンガの屋根に上りて子は雲と 話し続けるおーい、おおーい
2011年の東日本大震災を機に仙台から石垣島に移住した万智さんは、若山牧水が生まれた宮崎を経て一昨年、高齢の両親を世話するため仙台に戻ったそうです。「歌は世につれ世は歌につれ」と言われますが、歌は人生の折々の思いの記憶でもあります。重ねてきたよわいの足跡をたどれるような歌を、残しておきたいものです。