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ダーウィニズムを超えて 59

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

五章 心と脳に関する新しい見解

(五)万物の霊長としての人間

(3)コンピューターから意識は生まれるか
 1980年代の初め、人工知能(AI)に対する熱狂が高まった。日本では第五世代プロジェクトの構想が打ち上げられ、10年以内に知能をもったマシンを作ろうという意気込みであった。「知能をもったマシンはすぐにでも凡庸な人間たちを凌駕(りょうが)するだろう」と考える者も多かった。しかしその後、人間のようなロボットをつくる夢は実現しないばかりか、その試みは行き詰まってしまった。

 科学書の編集者デービッド・ストーク(David Stork)は「全体的に見ると、われわれはスピーチ、ハードウェア、計画、チェスのように狭義に定義したり、容易に特定できるような領域では、期待以上の成果を上げた。しかし、言語の理解とか常識といった、無限の可能性をはらんだ、特定するのが難しい領域では、遥かに後れを取っている(*62)」と言い、コンピューター科学者のデービッド・カック(David Kuck)も「どんな面から見ても、人工知能は当面のところ失敗に終わった(*63)」と言っている。

 ロボットには情報の意味を理解したり、その情報に基づいて決定を下すようなこともできない。さらに、最近の認知論者、神経学者、人工知能研究者たちは、情動こそ人間の認識と創造性に決定的なものだと強調し始めている。ところがロボットは気持ち(feeling)や情動(emotion)をもつことはできないのである。

 人工知能の研究者、ロドニー・ブルックス(Rodney Brooks)は「何か肝心の構成要素を見過ごしていたのではないか。……われわれが何かを見過ごしていることだ。目の前にあるのに見えていないんだ。それは生命の不老不死の霊薬のようなものだ(*64)」と言っている。

 また人工知能研究者の大御所の一人、マーヴィン・ミンスキー(Marvin Minsky)は、人工知能に対する解決策として提案された、さまざまの高度に数学的な「メタ理論」——サイバネティックス、情報理論、カタストロフィ理論、フラクタル、カオスそして複雑系理論——を非難し、脳が実際にどう働いているかを理解するためには、「メタ理論」を乗り越えていく必要があると言う(*65)。

 それでは人工知能が人間の心に及ばないことを統一思想の立場から考察してみよう。統一思想から見れば、心すなわち性相は内的性相と内的形状の合性体である(図55)。内的性相とは、心の中の主体的部分である知情意の機能をいい、内的形状とは心の中の対象的部分をいう。すなわち、考えられているもの、感じられているもの、決意されているものをいう。心の中に思い浮かべられている観念、概念、法則、数理などが内的形状に属するのである。

 内的性相である知情意の機能こそ、まさに能動的な心であって、それは霊人体の心(生心)のもつ機能なのである。したがって、それは物質でつくられたロボットによる人工知能では決して到達できないものである。人工知能がなしえるのは、心の中の対象的部分である内的形状の範囲でしかない。内的形状は図書館のように知識を貯えるところである。コンピューターは知識の整理、貯蔵、計算など、人間の内的形状の延長の役割を行っているが、その能力においては人間を凌駕しうるものである。しかし、コンピューターは内的形状の次元を超えることはできない。すなわちコンピューターが意識を生むのは不可能なのである。


*62 ジョン・ホーガン、竹内薫訳『続・科学の終焉』徳間書店、2000年、318頁。
*63 同上、318頁。
*64 同上、330頁。
*65 同上、332頁。

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 次回は、「新しい精神療法への道①」をお届けします。


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