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ダーウィニズムを超えて 58

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

五章 心と脳に関する新しい見解

(五)万物の霊長としての人間

(2)原人から人間へ
 原人といわれる存在から、いつ、いかにして、われわれ人間になったのであろうか。人類学者は、アウストラロピテクス→ホモ・ハビリス→ホモ・エレクトス→ホモ・サピエンス(ネアンデルタール人、クロマニョン人、現代人)というように、進化したと見ている。その間、ホモ・サピエンスに至る過程において、原人の頭蓋と脳の大きさが著しく増大した。エーデルマンは、「これらは古生物学、人類学、考古学の深くて大きい未解決の問題である(*54)」と言う。ビッカートンも「エレクトスとサピエンスの接点の時期に急に豊富になることから、何らかの全く新しい要素が生じたことが示唆される(*55)」と言う。

 ビッカートンはまた、「考える能力は創造する能力に先立つから、概念的な能力の急激な進歩が、理論的には道具の急激な進歩に先立ち、その逆ではなかったと考えてよいであろう(*56)」と述べて、「道具を使うことによって、脳が発達して人間になった」という唯物論的見解を退けて、「脳が発達して、思考するようになった人間が、道具を使って創造するようになった」と主張している。これは最初に構想、思考があり、それに基づいて創造や創作がなされるという統一思想の「創造の二段構造」の理論と一致するものである。

 最初のホモ・サピエンスと考えられているネアンデルタール人とは、いかなる存在であったのだろうか。タッターソルによれば、「ネアンデルタール人は、人類固有の特徴である豊かな創造性のひらめきのような証拠を何ひとつ残していない(*57)」のであり、「ネアンデルタール人は現代人とほぼ同じ大きさの脳をもっていたが、言語をもたなかった(*58)」と見ている。

 ネアンデルタール人は、われわれと異なる存在であることは明らかである。それではネアンデルタール人に取って代わった新人類のクロマニョン人はどうであろうか。タッターソルによれば、クロマニョン人は「現代感覚を備えたヒト」であって「現代のホモ・サピエンスと後期旧石器時代の偉大な芸術家たち[クロマニヨン人]に備わる能力は、太古の祖先と比べるとその差には桁違いのものがある(*59)」という。したがってクロマニョン人はわれわれと同じ人間、すなわちアダム・エバの子孫であると見ることができよう。ともあれ、原人を経ながら、ある時点において、突然、飛躍的にわれわれ人類が生まれたのは確かである。

 以上、見てきたように「人間だけが言語を有する」のであり、「あらゆる言語はその深いところで同一の文法規則を共有している」のである。そしてトレフィルが言うように、「子供が言葉を覚えるときに何が起こるかというと、赤ん坊は自分の周囲で話されているとりとめもない言葉を、自分の脳にはじめから組みこまれている文法規則の体系に当てはめるのである(*60)」。(太字は引用者)

 われわれ人間には、サルや原人には見られない、言語、抽象的な思考、創造的な思考がある。さらにそのような言語や思考の根本的な構造は、すべての人間において同じなのである。それではいかにして、人類はこのような能力を獲得したのであろうか。その理由は全く分からないと、タッターソルは述べている。

 人類進化の歴史で、なぜこうも長期にわたり脳の大きさが拡大し複雑化し続けたのかは正確には分からない。………さらに、進化の最終過程に至って、ヒトの脳がこれほど見事に言語能力や象徴的な思考能力を獲得した理由も分かっていない(*61)。

 この問題は、唯物論的に進化論の立場から説明できるものではない。創造的な力によって、人間の脳は発達してきたと考えるほうが自然である。すなわち、神が人間(アダムとエバ)という目標に向かって、原人を通過しながら、段階的に創造されたのであり、最終段階において、霊人体が抽入されて、人間となったのである。霊人体の心である生心は知情意の機能をもち、真善美の価値を追求するものである。そして言語の基本的構造をもち、抽象的な思考、創造性などの能力を備えているのである。同時に、そこには原型、クオリア等も備わっているのである。そのような霊人体または霊魂の存在を認めなくては、サルと人間の違いは決して解明されないであろう。


*54 ジェラルド・エーデルマン、金子隆芳訳『脳から心へ』新曜社、1999年、57頁。
*55 デレク・ビッカートン、筧寿雄訳『ことばの進化論』勁草書房、1998年、194頁。
*56 同上、193頁。
*57 イアン・タッターソル、秋岡史訳『サルと人の進化論』原書房、1999年、19頁。
*58 同上、91頁。
*59 同上、214頁。
*60 ジェームス・トレフィル、家泰弘訳『人間がサルやコンピューターと違うホントの理由』274頁、日本経済新聞社、1999年、93頁。
*61 イアン・タッターソル『サルと人の進化論』258頁。

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 次回は、「万物の霊長としての人間③」をお届けします。


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