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ダーウィニズムを超えて 57

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

五章 心と脳に関する新しい見解

(五)万物の霊長としての人間

(1)人間と動物の違い
 遺伝子レベルで人類とチンパンジーを比較してみると、98.5パーセントまで一致しているという。これは肉体的に見れば、人間とチンパンジーはかなり類似性があるということである。それでは人間とチンパンジーを区別するものは何であろうか。多くの神経科学者、言語学者たちの共通の考えは「人間だけが言語をもつ」ということである。

 言語学者のチョムスキー(Noam Chomsky)は、あらゆる言語には普遍文法を構成する文法的特性があると考えている。そして「言語は人間にだけある」、「人間には生得的な言語習得装置があるに違いない」と言う。エーデルマンも「われわれ人間は言語に基づいた高次の意識を有するただ一つのシステムである(*44)」と言っている。

 ビッカートンも同様に考えている。彼は「事物に関連づけられた記号や概念だけからなされるような推論、つまり抽象的な表示体系がサルには全く存在しない(*45)」と言う。そして「ヒトという種と他の種とがもっている知能の違いは、もっぱらわれわれが言語を獲得しているということにのみ依っている(*46)」と言い、「言語はヒトという種を創りあげ、そして、ヒトのとらえる世界をもまた創りあげている(*47)」と言う。

 ピグミーチンパンジー(ボノボ)のカンジ(Kanzi)は「言葉をもった天才ザル」と話題になった。しかし人類学者イアン・タッターソル(Ian Tattersall)は「カンジは最後まで、自分のしていることの意味を理解することはなかった。彼が行動の正確な意味を分からないまま、先生である人間の行為を真似ていたことはあきらかである(*48)」と言っている。彼が言うように、「類人猿が文法やシンタックスの類を少しでも理解して、研究者を完全に満足させたような例はひとつもなかった(*49)」のであり、「類人猿はあきらかに、物事を計画する能力や、抽象的なことを理解する能力がない(*50)」のである。

 スーザン・グリーンフィールド編の『ここまでわかった脳と心』においても、次のように書かれている。すなわち、たとえカンジのようなチンパンジーが特別な訓練によって言葉を学んだとしても、「彼らはバナナが欲しいといった要求を手話で表現することはできるが、考えを表現することはできない(*51)」のである。つまり、チンパンジーができるのは訓練によって学ぶということであり、しかも感覚的な五感に直接的に結びついたことに限られるのである。

 統一思想から見るとき、人間は創造性をもつ存在である。創造性とは、ただ創るというのではなく、自ら考え、工夫しながら、発展的に、創造していくということである。動物が巣作りをしたり、枝を穴に突っ込んで虫を引き出したり、石で木の実の固い殻を割って中身を食べたりすることも、創造性の現れであるが、それらは本能的なものであり、発展的でなく、受動的なものである。タッターソルも次のように述べている。

 つまり、現存のも、絶滅したのも含めたヒトを、ひとことですべての生物と区別できるとすれば、それは物事を象徴的に考える能力なのだ。それは複雑な精神的な象徴を考えだす能力であり、新しい組み合わせを表現できる能力である。これが想像力と創造性の最も基本的な部分で、人間らしい精神的な世界を創造し、外の現実世界でそれを再現できる能力なのだ。ほかの生物でも、チンパンジーの例のように、外界の環境を有効に利用することがあるしかし、その関わり方の本質は、あくまで受動的な傍観者としての立場でしかない(*52)。(太字は引用者)

 タッターソルは人間とチンパンジーの創造性の違いを次のように見事に表現している。

 チンパンジーは、見慣れないペンキを剥がす行為を除き、鏡に映る姿に手を加えて社会的に有利に見せようとはしなかった。つまり、自分の姿や鏡に映った像を改良しようとする意欲が見られないのだ。この点、人間なら人種にかかわらず、鏡があろうとなかろうと、髪をカットしたりヘアースタイルを凝らし、あるいは宝石や化粧で飾り立てるのがふつうである。……やはり、ヒトはヒトであり、チンパンジーはチンパンジーなのである(*53)。


*44 ジェラルド・エーデルマン、金子隆芳訳『脳から心へ』新曜社、1999年、241頁。
*45 デレク・ビッカートン、筧寿雄訳『ことばの進化論』勁草書房、1998年、240頁。
*46 同上、254頁。
*47 同上、290頁。
*48 イアン・タッターソル、秋岡史訳『サルと人の進化論』原書房、1999年、72頁。
*49 同上、81頁。
*50 同上、85頁。
*51 イミダス特別編集、大島清監修、山下篤子訳『ここまでわかった脳と心』集英社、1998年、91頁。
*52 イアン・タッターソル『サルと人の進化論』201頁。
*53 同上、63頁。

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 次回は、「万物の霊長としての人間②」をお届けします。


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