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ダーウィニズムを超えて 56

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

五章 心と脳に関する新しい見解

(四)認識はいかになされるか

(7)霊魂と神
 以上、見てきたように、結びつけ問題、記憶の保持と抽出がいかになされるかという問題、クオリア問題、意識や愛によって脳が活性化されることなど、神経科学において未解決の大きな謎がある。そのほか、自身や世界を見つめている「自己」の存在はいったい何かという問題がある。ラマチャンドランとブレイクスリーは「自己」について次のように述べている。

 いま私が「自分自身(私の自己)」という言葉について考えてみると、さまざまな感覚の印象と記憶を統合し(統合性)、私の人生を「管理」することを要求し、選択をする(自由意志をもつ)ものであり、空間的・時間的に単一の存在として存続しているものだと思える(*39)。

 物理学者のジェームス・トレフィル(James Trefil)も、意識の問題における「私」の実存性について次のように言っている。

 先に述べたように、「私」の実存性に関する核心の事実は、私の頭の内部のどこかから世界を眺めている「私」がいることを私が自覚しているということにある、と私は信じている。私の脳の働きやニューロンの発火についてどれだけ詳しい説明がなされようと同じことである。みずからの実在性に関するこの核心の結論に私がいかにして達するのかが説明されないかぎり、意識の問題を解決したことにはならない。ましてや、意識など存在しないと否定することによって問題が解決されるものではない。私にとってデネットの本を読むのは、変速機の仕組みについて詳しく議論した本を読んだあげく、結局、自動車などというものは存在しないのだという結論を聞かされるようなものである(*40)。(太字は引用者)

 このような神経科学における「意識に関する問題」に対して、大部分の科学者は、唯物論的にニューロンの相互作用によって説明しようとしている。しかし、いまだに意識の問題をニューロンの相互作用によって解明した者は誰もいないのである。

 今はやりの「複雑系の科学」によれば、意識というものは「複雑系の創発的性質」にほかならないという。複雑系の本拠地であるサンタフェ研究所のデンマーク人の物理学者ステーン・ラムスセン(Steen Ramussen)によれば、「ちょうど超伝導が、比較的高い温度で、ある種のセラミック化合物から生まれる創発的な特性であるのと同じで、意識も脳の複雑な振る舞いの創発的な特性かもしれない(*41)」という。心のような創発的な現象は、それを創った下位の脳のプロセスとは、ある程度無関係なものであり、その下位の脳のプロセスを制御さえできる。つまり自由意志があるというのである。

 しかし、まだ誰も創発的ということが本質的に何を意味するのか示した人はいないのである。「複雑系の科学」も結局は、物質から精神が発生するという主張であって、それでは意識の問題の解明は無理である。

 ではこの問題をいかにして解決すべきであろうか。意識の問題を唯物論の立場から解明しようというところに根本的な限界があるのである。意識の問題は、唯物論の立場だけでは解明できない。もう一つの新しい次元、すなわち精神的、霊的な世界まで踏み込まなくては、この問題は解明できないというのが統一思想の立場である。

 統一思想は、人間には肉身だけでなく霊人体があると考える。その霊人体の心である生心が情報の結合、原型の保持、抽出、知情意の働き、真善美の追求などをなしているのである。動物には、霊人体がないのでそのような作用は見られない。本能としての心または意識があるだけである。

 人間の意識を支えているのは霊人体であり、さらにその背後には神の存在があるのである。したがって科学が霊的世界、そして神の存在に目を向けるようになるとき、意識の問題は根本的に解明されるようになるであろう。エックルスの次のような声明は、まさにそのような見解に一致するものである。

 唯物論者の答えでは独自性の経験を説明できないので、私は自己あるいは魂の独自性を超自然的な精神的創造に帰することを余儀なくされる。神学の用語で説明すると、各自の魂は神の新しい創造によるもので、受胎と生誕の間のどこかの時点で胎児に植えつけられる。「神の創造」を必要とするのは独自な個性の中核の確実さである。それ以外の説明、例えば途方もなく当てにならない宝くじ的性質をもつ遺伝的独自性も、人の独自性を決定するのでなく、単に修飾するだけの環境による分化も、説明の任には耐えない。この結論は測りしれない神学上の意義をもっている。それは人間の魂について、そして神の創造におけるその奇跡的な起源についての信念を強力に強める。超越的な神、宇宙の創造者、アインシュタインの信じた神を認めるだけでなく、そのおかげでわれわれが存在するところの生きた神を認めることになる(*42)。(太字は引用者)

 ペンフィールドも「今、科学者もまた誰はばかることなく霊魂の存在を信じうる」と言い、次のように結論している。

 ここに私たち人類に対する途方もない挑戦がある。それは宇宙に挑むにも劣らず遠大な仕事である。しかし、アルバート・アインシュタインは、かつてある科学上の解答を得たときにこう叫んだ。「この世界の神秘は、それが理解しうることにある!」私は心の神秘がもはや神秘でなくなる日が来ることを信じて疑わない(*43)。


*39 VS・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー、山下篤子訳『脳のなかの幽霊』角川書店、1999年、309頁。
*40 ジェームス・トレフィル、家泰弘訳『人間がサルやコンピューターと違うホントの理由』日本経済新聞社、1999年、274頁。
*41 ジョン・ホーガン、竹内薫訳『続・科学の終焉』徳間書店、2000年、347頁。
*42 ジョン・エックルス、伊藤正男訳『脳の進化』東京大学出版会、1990年、264頁。
*43 ワイルダー・ペンフィールド、塚田裕三・山河宏訳『脳と心の正体』法政大学出版局、1987年、149頁。

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 次回は、「万物の霊長としての人間①」をお届けします。


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