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ダーウィニズムを超えて 55

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

五章 心と脳に関する新しい見解

(四)認識はいかになされるか

(6)クオリア問題
 心と脳の問題において、もう一つの大きな謎とされているのが「クオリア問題」である。クオリア(qualia)とは「主観的性質を感じる生の感覚」(ラマチャンドラン、ブレイクスリー)、「意識を伴う個人的な主観的な体験、感情、感覚のすべて」(エーデルマン)、「私たちの感覚のもつ質感」(茂木健一郎)などと定義されている。このクオリアと呼ばれるものが、いかにしてニューロンの相互作用から生じるかということが、大きな難問となっているのである。ラマチャンドランとブレイクスリーは次のように言っている。

 哲学者はこの難問をクオリア問題あるいは主観的感覚問題と呼ぶ。いったいどうして微小なゼリー(私の脳のニューロン)のなかのイオンの流れや電流が、赤いとか、あたたかいとか、冷たいとか、痛いとかいう主観的世界の感覚を生み出せるのだろうか? どんな魔法で、物質が目に見えない感性や感覚の織物に変わるのだろう。あまりにも不可解な問題なので、これが問題であることを認めない人もいるくらいだ(*37)。(太字は引用者)

 サンドラ・ブレイクスリーは哲学者チャルマーズ(David Chalmers)の提起した「意識の難解な問題」について言及しながら、次のように述べている。

 「難解な問題」はこのようなものである。主体的経験とはいったい何か? 世の中の出来事を鮮明に感じることができるのはなぜか? われわれの頭の中に主体となる誰かがいるのはなぜか? これまでのところ、これらの主体的な感情の問題には、物理学も化学も生物学も答えを出してはいない。チャルマーズは次のように言っている。「夕焼けの深い赤を見たり、遠くで鳴るオーボエの愁いを帯びた音を聞いたり、厳しい痛みの辛さや、はじけるような幸福や、思索に耽る時の瞑想のような状態を感じたりする時、実際には何が起こっているのでしょう? よく、特質[クオリア]と呼ばれる、普遍的な本質をもつこれらの現象が、意識の深い謎をもたらします(*38)」。

 このクオリア問題に対して、ニューロンの発火のクラスターあるいはパターンから唯物論的に説明しようという試みがなされている。しかしそれは全く実りなきものとなるであろう。クオリア問題に対しては、われわれの心の中にある原型が、映像のみならずクオリアを伴っていると見ればよい。すなわち原型は性相と形状の二性性相になっているから、形状的な情報とか映像だけではなく、性相的なクオリアを伴っているのである。したがって、われわれが花に対するとき、花の映像を認識するだけでなく、同時に花の美に伴う情感も呼び起こされるのである。統一思想の立場から見た認識作用を図54に示す。


*37 VS・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー、山下篤子訳『脳のなかの幽霊』角川書店、1999年、289頁。
*38 サンドラ・ブレイクスリー「意識の究明に神秘体験は貴重なデータ」、ニコラス・ウエイド編『心や意識は脳のどこにあるか』木挽裕美訳、翔泳社、1999年、322頁。

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 次回は、「認識はいかになされるか⑦」をお届けします。


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