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ダーウィニズムを超えて 54

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

五章 心と脳に関する新しい見解

(四)認識はいかになされるか

5)意識の能動性
 認識の感性的段階において、対象の内容と形式が主体の感覚中枢に反映されて映像(表象)を形成する。それが感性的内容と感性的形式であって、これを感性的認識像という。この段階において、感性的内容や感性的形式は断片的な映像であって、まだ対象に対する統一的な認識とはなっていない。次は悟性的段階における認識がなされる。まず霊的統覚の働きによって、感性的認識像を統合しながら、それに対応する原型が原型の貯蔵庫(すなわち記憶の貯蔵庫)から引き出される。ついで霊的統覚が、原型と統合した感性的認識像を対比(対照)することによって、認識がなされるのである。

 統一思想から見るとき、人間は霊人体と肉身から成る二重的存在があるが、霊人体の心を生心、肉身の心を肉心(または本能)と言う。人間の心は生心と肉心の合性体であるが、その心の機能的な部分を霊的統覚と言う。霊的統覚は知情意の統一体であって、関心(注意)、統合などの能動的な働きをもっている。霊的統覚のことを意識と言ってもよいであろう。したがって意識が対象に関心をもち、対象から来る断片的な映像を統合し、記憶の中からその映像に対応する原型を引き出し、両者を対比することによって認識がなされるのである。そのような意識の能動的な働きなくして、認識は不可能である。

 関心(注意)、統合、記憶の保持と抽出、観念(映像)と観念(映像)の対比などの意識の能動的な働きに関しては、神経科学の分野において、未知の大きな謎になっている。それは次のような科学者たちの記述において表明されている。ニューヨーク・タイムズ誌のサイエンス・ライター、ニコラス・ウェイド(Nicholas Wade)は、統合の問題について次のように述べている。

 脳に関して分かってきたことの一つに、入ってくる情報はいくつもの要素に分解される、という点がある。例えば、顔、文字、色はそれぞれ、脳の皮質の違った領域に整理される。皮質は、脳の外皮を形成する神経細胞の薄い膜である。顔のうちでも、個別性、表情、性別、などの特別な意味をもつ要素は、皮質の別々の場所に分かれて受け入れられる。これらの分けて処理された要素がどのように統合されるかに対する説明は、脳を研究する科学者が抱える大きな課題である(*31)。(太字は引用者)

 神経科学者のラマチャンドラン(V.S. Ramachandran)とニューヨーク・タイムズ紙のサイエンス・ライター、サンドラ・ブレイクスリー(Sandra Blakeslee)も次のように述べている。

 私があなたに向かって赤いボールを投げると、あなたの脳のあちこちにある数カ所の視覚野が同時に活性化されるが、あなたが見るのは、一つに統一されたボールの像だ。この統一は、それらすべての情報があとでひとまとめにされる部位が——哲学者のダン・デネット(Dan Dennett)が軽蔑的に「デカルト劇場」と呼ぶものが——あるから生じるのだろうか? それともこれらの領域が結合されていて、同時の活動から同期的な発火のパターンが直接に導かれ、それが知覚の統一を生みだすのか? このいわゆる「結びつけ問題」は、神経科学の分野に数多くある未解決の謎の一つである(*32)。(太字は引用者)

 スーザン・グリーンフィールドは、記憶の保持について次のように述べている。

 だが何よりも不可解な問題が、こうした記憶の全過程に共通して存在する。90年前の出来事を覚えている人がいるが、90年の間に、体を構成する分子は何回も入れ替わっている。もし脳内で、記憶を調節している長期的な変化が連続して起こっているとするなら、記憶はどうやって維持されているのだろうか。脳の領域とはかかわりなく、経験した結果の多少とも永久的な変化を、ニューロンはどうやって記録しているのだろうか(*33)。(太字は引用者)

 また認識において、関心が必要であることをサンドラ・ブレイクスリーは、幼児の脳の発達の例を挙げて、次のように報告している。

 それどころか、新たな研究によれば、話しかける言葉が赤ん坊の脳の発達に驚異的な影響を及ぼしているという。事実、赤ん坊が一日に聞く言葉の数こそが、その後の知性や学校での成績および社会的競争力を決める、唯一絶対の前兆になるとも言われている。しかし、ここに一つ見落としやすいポイントがある。これらの言葉はきちんと関心を向けている人間が発するものでなくてはならない。これまでの調査で、ラジオやテレビでは効果がないことが分かっている(*34)。(太字は引用者)

 神経学者の松本元は脳の働きを高めるのは情であり、愛であると言う。すなわち、「一般的に、情は低次元の心の働きと思われがちだが、実際には情こそ脳というエンジンを最もよく働かせるガソリンなのである(*35)」と言う。そして、愛は脳を活性化し、意欲を向上させて脳を育てるとまで言う。

 以上、情報の総合、記憶の保持、関心の必要性、愛による脳の活性化など、意識の能動的な働きについて、研究者たちの所見を引用した。そのような意識の能動的な働きが究極の難問である。スーザン・グリーンフィールドは言う。

 意識によって心は活性化するこれが神経科学者にとって、究極の難問である。心はあなたにとって、最も個人的な場所なのだ。この究極の謎、そして意識の主観的な経験については、それを客観的な事実として純粋に科学的な研究を行うのをやめるべきところなのかもしれない(*36)。(太字は引用者)

 この意識の能動性の問題は、脳におけるニューロンの配線をいくら研究したとしても解明できない問題である。これは脳のニューロンに働きかける、脳を超えた存在である霊人体の作用を考えなくてはならない。すなわち、脳の各領域から来る情報を統合しているのは、霊人体の生心と肉身の肉心からなる心の統一的な機能としての霊的統覚であり、その主体的部分は霊人体の生心なのである。

 記憶は心の対象部分である内的形状に貯えられているが、物質としての脳が変化したとしても、霊人体自体は永遠なので、記憶は保持されるのである。認識における関心も生心の働きによるものである。愛は心の中の最も根源的なものであるから、愛が中心となれば心が脳に作用する力も強くなるのであり、脳を活性化させるのである。


*31 ニコラス・ウエイド「脳の持ち主よりも、細胞の方が物事とよく覚えている?」、ニコラス・ウエイド編『心や意識は脳のどこにあるのか』162頁。
*32 VS・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー、山下篤子訳『脳のなかの幽霊』角川書店、1999年、119頁。
*33 スーザン・グリーンフィールド、新井康允訳『脳が心を生みだすとき』草思社、1999年、202頁。
*34 サンドラ・ブレイクスリー「三つ子の魂百までの真実」、ニコラス・ウエイド編『心や意識は脳のどこにあるのか』217頁。
*35 松本元『愛は脳を活性化する』岩波書店、1996年、75頁。
*36 スーザン・グリーンフィールド『脳が心を生みだすとき』221頁。

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 次回は、「認識はいかになされるか⑥」をお届けします。


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