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ほぼ5分で読める勝共理論 29
「弁証法」とは何か

編集部編

主義と主張を超えた要求の実現?
 「唯物弁証法」を簡単に説明すると、「あらゆる存在には対立する存在があって、それらが闘争することによって物事が発展する」という理論です。

 唯物弁証法の「唯物」は、「神や心という存在はなく、心だと思っているものも脳の作用に過ぎない」という考え方です。

 それでは「弁証法」とは何でしょうか。
 今回は、「弁証法」について、哲学思想史をひもときながら解説します。

 ところで、筆者が大学生の頃のことです。
 学内で共産主義者の学生と論争になったことがありました。

 共産党には民青同盟(日本民主青年同盟)という大学生の下部組織があるのですが、当時の東大では彼らが自治会を牛耳っていました。
 毎年毎年、自治会長になるのは民青同盟のメンバーでした。そしてそのメンバーの一人と話している時に彼はこう言ったのです。

 「俺たちの考えは、主義と主張を超えた要求の実現なんだ!」

 私は正直びっくりしてしまいました。
 それって子供のわがままと同じなのではないか、と思ったのです。
 こんな考え方が日本中に広がったら、日本は本当に駄目になってしまうのではないか、とも思いました。

 彼らがどうしてそのように考えるのかというと、それが良いことだと思っているからです。
 「共産主義は正しい。だから相手とは話し合わない。敵対する。闘争する。それが発展につながるんだ。それが正しいんだ」と考えているのです。

 仕事をしているかたならよくお分かりになると思うのですが、発展するのは内部が対立しているときではありません。
 内部に良い関係が築かれていて、意思の疎通がうまくいっているときにこそ発展します。

 もちろん発展的な競争はいい刺激になります。しかし対立が発展をもたらすわけではありません。
 ここが大事なところです。この絶妙な部分が、勝共理論を学ぶとはっきりと分かってきます。

「唯物弁証法」とは?
 「唯物」というのは、これまでに説明したとおりで、神や心という存在はなく、「心」と考えているものも脳の作用に過ぎないのだ、という考え方です。

 「弁証法」は何かというと、「弁」は議論を意味します。「証」は真実を意味します。つまり弁証法とは、議論によって真実に近づく方法のことをいっています。

 哲学を勉強すると最初に登場するのが古代ギリシャのソクラテスです。
 弁証法はその頃から研究され始めました。かなり歴史が古いものです。ソクラテスの対話の仕方を、特に「問答法」と呼ぶことがあります。

 ちなみに問答法はディベートとは少し異なります。
 ディベートでは、ABのどちらが正しいかを二手に分かれて論じ合って、最終的に第三者に判断を下してもらいます。

 「言葉の決闘」といわれることがあるぐらいなので、お互いに「自分がいかに正しいか」「相手がいかに間違っているか」を主張します。ですから、心を開いて謙虚に真理を求めよう、という気持ちにはあまりなりません。

 これに対して問答法は、偏見を捨てて、開かれた心で真実に至ろうとする対話の方法です。
 Aという意見があれば、それが自分の考えと異なっていたとしても聞き届ける。そしてその矛盾点や疑問点などを検証する。そして相手に質問して、回答を得ながら真理に近づくという方法です。
 目的は「論争に勝つ」ことではなく、「より真理に至る」ことです。

 ちなみに「日本人は議論が苦手だ」という場合は、大抵は「ディベートが苦手」という意味ではなくて、「問答法が苦手だ」という意味だということです。

 では、今回のまとめです。

 弁証法とは、本来は開かれた心で対話をすることによって真理に至ろうとする方法のことです。しかしマルクスはこれを共産主義に利用して、闘争をあおることにしました。

 その内容については、次回説明します。

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