https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=22576

共産主義の新しいカタチ 12

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

「愛の思想」欠落で家庭に階級闘争をあおる
フリードリヒ・エンゲルス①

 米国のフェミニスト、J・フラックスは、「現代を特徴づける代表的思潮」として精神分析学・ポストモダン哲学・フェミニズム理論—の三つを挙げています(有賀美和子『現代フェミニズム論の地平』)。

 この「フェミニズム理論」とは、「婦人参政権」を要求した「第1波」ではなく、1960年代以降のS・ボーヴォワールの『第二の性』に代表される「第2波」を指します。

 つまり、近代における産業化の進展で「公・私の領域」の乖離(かいり)をもたらし、男性を市場労働に従事させ、女性を無報酬の家事労働に従事させる近代的性別役割分業を生じ、それが固定化された、と見ています。ですから「専業主婦」として家庭という私的領域に囲われ、社会的役割を低下させた、という認識に立つため、今日の「フェミニズム」は、女性抑圧の廃止を、〈家族〉や〈産む性〉という基点に立脚し、近代社会構造や資本主義を問い直す女性解放論である、としています。

 こう見ると、女権拡張の議論が「外」に向かうのではなく、なぜ「家庭」という「内なる領域」に対し仕掛けられるのかが、フェミニスト側から分かります。しかし、こうした第2派フェミニズムの主張する論理とほぼ重なるのが、実は下記に掲げたエンゲルスの記述です。

画像をタップすると拡大してご覧になれます

 これを見て分かるように、「最初の階級闘争」は「一夫一婦制としての家族」であった、というのです。エンゲルスはこの家族の問題から説き起こして、「国家」とはいかなるものか、に言及します。

母権制から父権制への「革命」

▲フリードリヒ・エンゲルス(ウィキペディアより)

 さて、マルクス主義の手になる国家論を強いて言えば、先のエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』です。そこでは次のように述べています。

 「富が増加するのに比例して、この富は、一方では、家族内で男性に女性よりも重要な地位を与え、他方では、この強化された地位を利用して、伝来の相続順位を子に有利なように覆そうとする衝動を生みだした。しかしこれは、母権制による血統が行われている限り、だめであった。したがって、この血統が覆されなければならなかった。

 そしてそれは覆された。これは決して今日我々が考えるほど困難ではなかった。なぜなら、この革命—人類が体験した最も深刻な革命の一つ—は、氏族の生きている成員のただの一人にも手を触れる必要がなかったからである。氏族の全ての所属者は、依然としてもとのままでいることができた。今後、男の氏族員の子孫は排除されて父の氏族に移ることにする、という簡単な決議だけで十分であった。これによって、女系による血統の算定と母方の相続権とは覆され、男系による血統と父方の相続権とが樹立された」

 しかしエンゲルスはこの「母権制から父権制への移行」が「革命」と言いますが、その根拠とは実にお粗末で「我々は何も知らない。それは全く先史時代のこと」とうそぶきます。

 さらに「母権制の転覆は、女性の世界史的な敗北であった。男性は家の中でも舵を握り、女性は品位を汚され、隷属させられて、男性の情欲の奴隷、子供を産む単なる道具となった」と文明社会=悪という思想に連なります。

 エンゲルスが依拠したのはモーガンの記述やバッハオーフェンの「母権制に関する豊富な資料」、さらには、M・コヴァレフスキー『家族と財産の起源と進化の概論』などに限られ、その証明というと甚だ怪しいシロモノです。(続く)

「思想新聞」202441日号より

ウェブサイト掲載ページはコチラ

勝共情報
国際勝共連合 街頭演説
「憲法記念日によせて」弁士:渡辺芳雄副会長
 日本国憲法施行から77年目の53日、東京都杉並区のJR阿佐ヶ谷駅前で街頭演説が行われました。


勝共ビラ「旧統一教会解散命令請求の隠された真実」
 「全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)」の正体を明らかにするビラが国際勝共連合で制作されました。ご活用ください。

▲画像をタップするとダウンロードページに移動します

LINE勝共ラシンバン】
友だち追加、お待ちしております。
友だち追加はこちら↓