2024.05.08 17:00
共産主義の新しいカタチ 11
現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)
「一夫一婦制」を破壊するフェミニズムの先駆
シャルル・フーリエ➁
フーリエ思想が共同組合社会として具現
フーリエの弟子たちを中心とする実践的共同体からは、名だたるフェミニストが現れました。出産をしても結婚をしない女性の生き方というものが、既に19世紀に「実践」されていたのです。
A・ミシェル『フェミニズムの世界史』では「ファランステール」について次のように説明しています。
(フーリエの先駆とされ「空想的社会主義者」でマルクス=エンゲルスも言及する)サン=シモン主義は、改良主義の伝統につながるものであるが、女たちの間に新しい希望をかき立てる。…同棲の要求は、女たちにとって、愛と婚姻に関する伝統的な考え方に比べ、新しいものであった。女たちはそれを、ファランステール〔協同組合社会〕やコミューニティーの設立に参加して実践しようとする。たいていの場合、女たちがそこで自分の性に割り当てられた伝統的な役割を果たすとしても、例外はあった。例えば、1830年に創られたギーズの〈ファミリステール〉は、共同体の管理運営に女も平等に受け入れていた。
こうした試みは、ヨーロッパでは稀で一時的なものであったが、アメリカではもっと頻繁に行われた。例えば19世紀のアメリカで記録されたものとしては、72の宗教的な性格の、ないし人間主義的な視点に立つコミューニティーの他に、空想的社会主義の理論を体現する14のコミューニティーと、フーリエの理論に着想を得た約40のファランステールがある。なお、ファランステールは、すべて1840年に設立されている。
ここでもやはり、フーリエのコミューンが具現化し、特に米国において盛んになったのです。補足しますと、「ピアノの詩人」ショパンの「パトロン兼恋人」として知られる女流作家のジョルジュ・サンドは後にフーリエ的社会主義に傾倒するようになります。2月革命期の女性労働運動を組織した(後期印象派の画家ポール・ゴーギャンの祖母)フローラ・トリスタンもフーリエの影響を受けています。
かくして「子供=邪魔者」と見たフーリエは、具体的には何を重視したのか。それは「ファランステール」で繰り広げられる「パーティ」だというわけです。性解放の「性の自由」どころか、フーリエ理論では「(文明に毒された)一夫一婦制」が忌み嫌われ、半強制的に「パーティ」参加が義務づけられる「地獄」なのです。そこにフーリエの「怨恨感情」が窺(うかが)えます。
こうしたフーリエの思想は、なぜこれほどまでに「実践的な成果」を得たのでしょうか。マルクスほどの「国家」や「権力」に対するスタンスはほとんどありませんが、社会や共同体については驚くほど細かな構想を持っていたのです。
そして、人間の「欲望」や「情念」に対する考え方は、むしろ「上部構造(精神的文化的営為)に対する下部構造(経済構造)の優位」にこだわったマルクス=エンゲルスよりもはるかに「フロイトの先駆」と呼べる点があるのです。
エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』では、フェミニズムの基本原理とも言える、「家族における闘争」として、妻(被抑圧者)の家父長(権力者)たる「夫からの解放」を掲げていますが、フーリエはそもそも一夫一婦制を認めていません。
現代日本で、こうしたフーリエ的な考え方を表明したのが、フェミニズム界を牽引してきた上野千鶴子東大名誉教授です。彼女は「結婚とは相手に自分の性的自由(性器の使用)を独占的に売り渡すこと」と結婚を侮蔑しました。しかし近年、歴史学者の色川大吉(いろかわ・だいきち)氏と入籍していたことが週刊誌で報じられました。
一夫一婦は狭量だとし、愛を性に還元
フーリエにおいては「愛」の概念が「性愛」「快楽」といったものに矮小(わいしょう)化されてしまうのです。ですから「特定のカップル」の考え方は「狭量な利己的な愛情」のように還元されてしまうのです。
しかし世の多くは、一夫一婦制が多いのです。それは何もキリスト教に限りません。イスラム教も元々は、戦争で夫を失った寡婦が路頭に迷わないためにムハンマドが一夫多妻を認めたという経緯があります。
フーリエの思想は、なぜ男女の愛が排他的でなければならぬのか、「博愛」のように愛してみよ、という「悪魔の挑発」のようにも思われます。
そもそも一夫一婦制の根拠は、男女の愛を起点として築かれた家族が、子や孫という生命のつながりを目撃し、確認し育む場と社会が認めてきた伝統的倫理観にあると言えましょう。
しかしそうした発想が、フーリエの共同体には全くありません。生まれた子供は確かに「共同体の子」として育てられるでしょう。ところが家族概念もなくなれば、「責任」もなくなります。親が親となる機会を失うことにもなるのです。
確かに今日、育児ノイローゼの母親や、知識の乏しい父親の無理解で、夜泣きなど「騒音」を理由に、わが子を手にかける傷ましい事件が起きたりします。しかしそうした苦労以上の「喜び」が子を持つことで得られるからこそ、世には多くの家族が営まれているはずなのです。上野氏らの説くラディカル・フェミニズムもまたこれらを「厄介」としか考えないのです。
★「思想新聞」2024年3月15日号より★
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