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facts_3分で社会を読み解く 9
米国におけるディプログラミングの終焉

ナビゲーター:魚谷 俊輔

 東京地裁で審理されている世界平和統一家庭連合に対する解散命令請求訴訟に、私が提出した意見書の内容紹介の4回目である。

 米国におけるディプログラミングは1970年代がピークであり、80年代に沈静化し、90年代にはほぼ事件が起こらなくなった。

 しかしながら、米国政府のディプログラミングに対する初期の対応は、日本以上に厳しいものであった。一時期は政府による「合法的ディプログラミング」が企てられたこともあった。

 1980年にニューヨークの州議会に、刑法を改定し、疑似宗教的カルトを助長する行為は重罪にすべきであるとの「反改宗法案」が提出された。
 同様の法案はその他の州でも検討されたが、議会内では一般に「ムーニー法案」と呼ばれ、主として統一教会員をターゲットにしたものであった。

 もしこれらの法律が制定されていたなら、信者は精神的無能力者として保護者権を発動され、権力による合法的なディプログラミングが行われることになっていたが、さすがにこれは憲法違反だということで成立しなかった。

 議会でディプログラミングを合法化するという企ては未遂に終わったものの、個々のケースにおいては統一教会信者の両親が「成年後見命令」を裁判所から認定してもらい、子供に対する「法的監護権」を獲得し、合法的な強制改宗を行った事例は存在する。

 米国では1977年に「カッツ」対「上級裁判所」裁判で、このような成年後見命令が信教の自由を侵害する違法なものであるという判決を統一教会が勝ち取っているが、それまでに多数の犠牲者が出てしまったということだ。

 米国でディプログラミングを終焉(しゅうえん)させる上で有効だったのは、全米キリスト教会協議会や米国市民自由連合などの宗教団体や市民自由団体が、ディプログラミングに対する反対声明を出したことであった。

 しかし最も決定的な役割を果たしたのは、ディプログラミングに対する刑事および民事訴訟である。
 「ディプログラミングの父」と呼ばれたテッド・パトリックは、宗教団体のメンバーを自ら拉致・監禁して脱会説得を行った。
 そのため彼は不法監禁罪、婦女暴行、誘拐、拉致、および暴行などの罪で有罪判決を受け、長期間の禁固刑に服することとなった。

 このように米国では、強制改宗が明確な刑事犯罪として警察によって取り締まられ、起訴され、有罪判決を受けている。
 その他、民事訴訟でもテッド・パトリックは損害賠償の支払いを命じる判決を受けている。

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