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宣教師ザビエルの夢 35

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第三章 キリスト教公認への道のり

二、アレキサンドリア学派の登場

国際都市アレキサンドリア
 かつてモーセが生まれ育ち、神のみ手に導かれて約束の地を目指して脱出することになったエジプト。幼子イエスもまた、ヘロデ大王の追手を逃れて一時身を隠したといわれるこの地は、古代キリスト教発展の歴史にも重要な役割を果たしています。その中心にあるのが、アレキサンドリアです。アレキサンダー大王の遠征で生まれたこの町は、大王の名を冠しています。

 ここは、ローマ帝国内でも一級の国際都市であり、商業、文化の中心でもありました。ギリシア哲学が盛んだったと同時に、離散したユダヤ人が数多く移住していたため、ヘレニズムとヘブライズムの交差するところでした。ここですでに紀元前3世紀には『七十人訳』と呼ばれるギリシア語訳の聖書が成立しました。イエスとほぼ同時代には、フィロンというユダヤ人思想家が、ユダヤ教とギリシア哲学の融合を試みています。こうした伝統の中に一連のキリスト教思想家が誕生し、「アレキサンドリア学派」と呼ばれるようになりました。

 その代表的な人物としてまず挙げられるのは、クレメンスです。もともとはギリシア人のこの人物が、真理をたずねてこの地についたのは、2世紀末でした。厳しい迫害を逃れて小アジアに去るまでの20年余りの間、フィロン流の学問伝統をキリスト教に導き入れるとともに、キリスト教的教育に尽くしました。

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 次回は、「観想する神学者オリゲネス」をお届けします。


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