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宣教師ザビエルの夢 34

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第三章 キリスト教公認への道のり

一、教父たちが遺した信仰の書

教父たち
 ローマ帝国でキリスト教が公認されていくまでの400年間に、数多くのキリスト教著作家を輩出しました。アンティオキアのイグナチウス、スミルナの司教ポリュカリポス、殉教者ユスティノス、リオンの司教エイレナイオスらをはじめとする彼らは、キリスト教史の中で独特の光を放っています。激しい国家的迫害の最中にも、雄々しく殉教の精神を堅持して生きた彼らの人格と著作の中に、後代の人々はキリスト者の理想を見いだしました。それで歴史家たちは、彼らを心からの尊敬と親しみを込めて「教父」と呼んだのです。

 研究者によれば、「教父」と呼びうるのは次の四つの基準を満たすものに限られるといいます。それは、第一に古代に属すること。第二に教理面で正当信仰を保持していること。第三に聖なる生涯を送った者であること。第四に教会の承認のあることです。すなわち、4世紀を最盛期として、2世紀から78世紀の時代に属する者たちで、使徒に受け継がれた主の伝統を保持しつつ、清き愛と奉仕の生活に励み、後代の教会からも信仰の証し人として尊敬されてきた者たちを指すのです。

 彼らは、生きた時代も地域も多様で、それぞれ多彩な個性を発揮しています。彼らの残した著作の種類から見れば、信徒の信仰指導のための書簡、礼拝や集会で語られた説教集、キリスト教を迫害する者たちへの弁証、すなわち護教書、異端論駁の書、聖書注解、入信者のための教理問答書(カテケジス)、聖人伝などに至るまで、多様な文学類型に分類することのできる作品を残しています。しかし、全体としてみれば聖書を土台としたキリスト教思想の形成者であり、思想の背後に流れる霊性を全身全霊をもって生きた人物たちでした。それゆえに、聖書とともに新たなインスピレーションの源泉として後代に影響を与え続けてきたのです。

 教父たちは多くの場合、司教、すなわち教会の指導者にして牧会者でした。古代のキリスト者は、彼ら教会の監督や指導者を、心からの尊敬をこめて「父」と呼びました。それは、彼らが人々に新しい生命を得させる教えを与え、信徒一人ひとりの魂に対して、細やかな配慮をしてきたからにほかなりません。しかも、自らはキリストに倣って貧しい下僕の生活を営みました。彼らを「父」と慕った伝統は、今日までキリスト教世界の中に生き続けてきました。カトリック世界で、ローマの司教を親しみと敬意を込めて「パパ様」と呼ぶのもその現れです。また、洗礼に導き信仰を育ててくれた先輩を「霊父」と呼び、慕うことはよくあることです。かのザビエルも、彼に信仰の覚醒(かくせい)を促し、イエズス会創設の同士にして生涯の師となったイグナチウス・ロヨラを「慈父」と呼び続けていました。

 神から託された真理を語り、その生き方を見せてくれる「父」たちは、実にキリスト教精神の体現者でした。彼らの存在こそが、ローマ帝国の打ち続く迫害を越えて、キリスト教会を国教にまで至らしめた力となりました。そして、彼らの生涯にはぐくまれたキリスト教の霊性は、中世キリスト教文化の熟成をもたらす肥やしとなっていったのです。

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 次回は、「国際都市アレキサンドリア」をお届けします。


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