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ほぼ5分で読める勝共理論 21
疎外論⑦
疎外論に対する批判と代案(1

編集部編

疎外論の何が間違いなのか?
 疎外論では、「資本主義社会では人間の本質が失われている」「人間らしさが奪われている」と言っています。
 そうしてできたのが共産主義の国、例えば旧ソ連や中華人民共和国、そして北朝鮮などでした。

 では、これらの国では人間らしい生活があふれているのでしょうか。日本や米国よりも、人々がもっと生き生きと暮らしているのでしょうか。

 そうとも言えないようです。むしろ特権階級だけが莫大(ばくだい)な富と力を持ち、国民が自由を奪われている、反対する人は厳しく弾圧されてしまう、そんな国になっています。

 これは、人間疎外論が根本的に間違っていたということを意味しています。
 では、何が間違っていたのでしょうか。

 一つは、疎外の本質の捉え方を間違えたということです。人間らしさの定義が違うということです。

 人間には心と体があります。哲学的に表現すれば、精神と物質です。
 ある人がニコッと笑えば、「あ、この人はうれしそうだな」と思います。でも実際には、うれしいという心は見えません。

 実際に見えているのは表情、つまり体の動きです。体の動きを見て、「あ、うれしそうだな」とか、「悲しそうだな」という心の動きを感じ取るわけです。

 笑っている顔を見て、「あ、この人は顔の筋肉が収縮運動をしているな」といって体の動きを感じ取る人はちょっと変わった人かもしれません。
 このように、人間には心と体があります。

心と体、どちらが大切?
 では、心と体はどちらが大切でしょうか。もちろんどちらも大切であることは言うまでもありません。
 心が幸せなら体が傷ついてもいい、体が幸せなら心が空虚でもいい、ということはありません。両方とも大事です。

 ただ、両方とも大事であることを大前提として、よりどちらが大事なのかといえば、やはり心ではないでしょうか。
 例えば、心が傷つくことと体が傷つくことでは、より傷が深いのは心ではないでしょうか。

 このように、心が体より重要だということを、勝共理論では「心と体は、主体と対象の関係である」といいます。 

 実は日本の憲法も同じように考えています。憲法は個人の自由を保障していますが、その中に精神の自由と経済活動の自由があります。そして精神の自由は経済活動の自由よりも、より強く尊重されています。

 例えば、お店とお店の距離が近いと倒産するかもしれない、というときに、お店は何メートル以上離さないとだめだよ、というルールを国が作ることもできます。

 経済活動の自由を国が制限してしまうんですね。
 でも、あなたは変な意見を言ってはいけないよ、という制限をするのは、よほどの理由がないと駄目です。

 これを法律の学問では二重の基準といいます。明らかに差を付けているのです。
 これは、日本国憲法が人間の本質はより心にあると考えているということの表れです。

 しかし疎外論ではそのようには考えません。次回はそのことについて説明します。

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