ほぼ5分で読める勝共理論 22
疎外論⑧
疎外論に対する批判と代案(2

編集部編

人間はお金によって堕落した?
 前回は、「人間には心と体があって、主体は心である。つまり人間の本質は、より心の面にある」という話をしました。

 では、疎外論はどうなのでしょうか。

 共産主義では、「人間は労働によってサルから進化した。だから人間の本質は労働である」と考えていることを説明しました。

 「人間の真に人間らしい姿とは、労働者の姿である」。さらに言えば、「労働の喜びこそが人間の本質的な喜びである」というわけです。

 そうすると、資本家に強制されて労働する、あるいはお金のために労働するというのは、人間らしくないということになります。

 ではなぜ、労働が強制になるのかというと、「その究極的な原因は資本なのだ。人間が自由なお金を持っているからなのだ」と考えていることを説明しました。

 よくお金があるところに争いが生まれるという話がありますね。
 貧乏な時は仲の良い親戚だったのですが、宝くじに当たったとか、莫大な遺産が手に入りそうだ、ということになって、突然人をだましたりとか、裁判をして争ったりするようになるという話です。

 つまりマルクスは、「人間はお金によって堕落した。資本という財産によって堕落した」と言っているのです。
 それを哲学的に表現すると、あるいは経済学的に表現すると、「資本によって対立が生じた。資本によって人間が人間らしさを失った」ということになるのです。

本当の問題は人間の心の矛盾性にある
 さて、この話は正しいのでしょうか。
 お金や物が現れることで人間は不幸になった、だからお金をなくせばよい…。

 本当にそうなのでしょうか。
 確かにお金がなくなればお金持ちはいなくなります。貧乏人もいなくなります。お金持ちが独占しているお金をみんなで分け合えば、みんな平等で豊かになるような気もします。
 簡単に言えば、それが共産主義の理想とする社会です。

 でも実際は違います。
 お金が問題なのではなく、お金や物を正しく扱えない人間の弱い心が問題なのです。つまり本当の問題は人間の心の矛盾性にあるのです。

 疎外論の決定的な間違いは、「悪の原因がお金である、資本とか私有財産である」と捉えたところにあります。

 旧ソ連や中国では、実際に資本主義をやめてみました。
 共産主義の理論に基づいて、壮大な社会実験を行ったのです。資本家をなくして国民みんなが労働者になる、そして等しく配給を受ける社会にしてみたのです。

 その結果どうなったのか、皆さんは想像できるでしょうか。

 共産主義の社会では、一生懸命働いても怠けても、受ける配給は同じです。そうなるとやる気をなくすのが人間の常ですね。
 あるいは国があらゆる経済活動の計画を立てるので、無駄なものをつくり続けたり、必要なものをつくらなかったりしました。

 来年は生産を2倍にせよ、なんていう無理な計画を立てたりもしました。

 こんなことをしていたらうまくいくはずがありません。こうして結局ソ連は崩壊し、中国は資本主義を導入しました。これが結論です。

 疎外論の一つ目の誤りは、人間の本質を労働と捉えたことです。
 その代案は、「人間の本質は心と体にあって、より主体は心である」ということです。

 次回は、今回に続いて疎外論の二つ目の批判と代案について説明します。

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