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宣教師ザビエルの夢 32

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第二章 キリストと出会った人々

六、正統と異端~神学者の誕生

リオンの司教エイレナイオス
 かのリヨンの大迫害の時、幸いにして死を免れた一人の司祭がいました。小アジアのスミルナ生まれのエイレナイオスがその人です。彼は、若くしてキリスト教に改宗し、使徒ヨハネの直弟子、聖ポリュカルポスの薫陶を受け、アジアに根ざす使徒の伝統を継承しました。その後ローマを経てリヨンに渡り、その地の司教ポティヌスによって司祭に叙せられました。177年の大迫害はその直後に起こるのですが、司教の使いとしてローマに滞在していたために、奇しくも殉教の道に踏み出すのを押しとどめられたのです。翌年リヨンに帰還したエイレナイオスは、殉教した前任者の後を継いでその地の司教となります。「(彼の活動は)異端者等の突撃を突き放し、信仰を固めさせ、最初の神学的な躍進をひき立てた」と今日の神学者アダルベール・アマンが表現したその生涯は、宣教活動と同時に新しい神学思想活動の展開にささげられた日々でした。

 今日エイレナイオスの著作として残っているのは、『異端論駁』と『使徒たちの福音宣教の論証』の二つです。これらの著作活動を通じて彼が第一に取り組んだのは、若き日にその身に刻みつけた使徒の伝統を守るための戦いでした。そして、その使徒伝承をうち崩そうとするのは、グノーシス主義と呼ばれる思想傾向でした。キリスト教に影響を与えたグノーシス主義は、複雑な内容を含んでいますが、エイレナイオスの目には、危険なものと映りました。この思想傾向によって唯一の神が旧約の神と新約の神に分けられ、神と被造物との不和が生じ、霊肉の必要以上の分離と極端な神秘主義に誘われました。それらは、アジアに育った司教の目には、キリストの弟子たちに賜わった真理とは違ったものであると見てとれたのです。

 エイレナイオスは真理の一貫性と統一性を強く主張しました。創造の神は救いの神であり、人間始祖アダムの時から始められた、神の救いの計画の統一性を言い表しました。キリストによってその計画は完成へと導き入れられ、人間は漸進的に完成へと向かうというのです。

 エイレナイオスの思想自体がそうであるように、彼の論争相手に対する姿勢は、一貫して和解と統一を目指したものでした。攻撃的ではなく、むしろ神の恩恵を想起させ、使徒の模範を思い起こさせ、誤謬(ごびゅう)を一つ一つ解きながら、霊的な一本の連なる流れの中に人々を引き戻そうというものでした。論争家エイレナイオス、神のみ旨に対する深い洞察と愛に基づく対話の中から、神学というものを生み出していった一人の先人が、救済史の途上に立っています。

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 次回は、「アンジェラスの鐘の音とともに」をお届けします。


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