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宣教師ザビエルの夢 31

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第二章 キリストと出会った人々

六、正統と異端~神学者の誕生

●400年の苦悩
 ローマ帝国迫害時代の4世紀を一つの角度から概観すると、勇ましく宣教に出発した1世紀の使徒たちに始まり、ユダヤ人と異邦人の伝統の狭間(はざま)で使徒の教えの継承に努めた二世代めのキリスト者の時代がありました。そして、皇帝に対してまでキリスト教の正統性を主張した護教家たちの戦いが展開された2世紀がありました。さらに、正統信仰をめぐるキリスト教内部の論争の時代を経て、多くの思想家を輩出する34世紀の歩みがあり、それが実って初めて公認と国教化に至った、という長い道のりがありました。

 初代教会が誕生してからの数十年間は、燃えたつ信仰の炎を胸に、彼ら自身が見聞きしたもの、実際に体験した出来事を世界に宣布する時代でした。イエス・キリストの死と復活の出来事は神の救いのみ業であり、イエス・キリストこそが人類が待ち臨んでいたメシアである、と高らかに宣言して回ったのです。

 その教えが異邦人の間で広がり、キリスト教会は帝国内でも抜き差しならぬ存在となるにつれ、非難攻撃も激しくなりました。これに対する護教家たちの努力は、異なる文化の壁を克服していく歩みでもあり、皇帝を含めた為政者をも動かそうという試みでした。しかし先に見たように、殉教者ユスティノスの弁証は、ペンによる努力もむなしく、赤き鮮血の証(あかし)を立てる結果となりました。彼を死に追いやった皇帝マルクス・アウレリウスは、ローマの歴史では五賢帝の一人に数えられ、高潔な人物とたたえられますが、その時代こそ、キリスト教徒にとっては最も困難な時代でした。そして177年には、「初代の教会史上における最も恐ろしいドラマの一つ」といわれた激しい迫害が、ガリア地方のリヨンで起こっているのです。

 こうした壮絶な異教徒との戦い、併せて国家との対決というものが一時の休息を得たのは、護教家たちの戦いの成果であるのかどうかはともかくも、皇帝の交代によるものでした。2世紀末から3世紀前半の半世紀は、キリスト教徒にとって平和と安泰の時代を迎えたといわれます。しかしこの時代、キリスト教会に新たな課題が突きつけられました。それは、内部の思想的混乱、正統と異端をめぐる論争の時代を迎えたのです。そして、この時期『異端論駁』なる著書を携えて、論争家、あるいはキリスト教神学者が誕生してくるのです。

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 次回は、「リオンの司教エイレナイオス」をお届けします。


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