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宣教師ザビエルの夢 30

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第二章 キリストと出会った人々

五、迫害と信仰

護教家の闘い
 キリスト教徒は、こうしたローマ人からの非難に対して、どのように闘ってきたのでしょうか。ローマの伝統の保持とユダヤ的な習慣に対する偏見に基づき、国内の安寧のため手段を選ばず迫害に及んだ皇帝に対して、果敢に立ち向かったキリスト教徒がいました。

 使徒教父に続く「護教家」と呼ばれる人々の登場です。護教家たちはその著作の中で、いわれなき偏見と非難を排撃し、ローマでの市民権を獲得しようと弁証を試みたのです。そうした人物には、アリスティデス、ユスティノス、タチアヌス、アテナゴラス、テオフィルスなどの名が挙げられます。

 中でもユスティノスは、護教家の第一人者です。彼はサマリア生まれのギリシア人で、さまざまな哲学遍歴の後、キリスト教に回心しました。150年ごろからローマで私塾を開校し、そこで活躍します。晩年に著した二つの『護教論』は、それぞれアントニヌス帝とマルクス・アウレリウス帝に宛(あ)てられたものです。

 ユスティノスの弁証の目的は、第一に皇帝らに、キリスト教徒に対する非難を再検討するよう促すことでした。その際、キリスト教徒は無神論者や偶像崇拝者ではなく、彼らこそが真の宗教心を持つ者たちであり、その教えは皇帝らが愛好するギリシア哲学に見いだされる内容とも一致することを説き、キリスト教徒は遵法精神を徳として重視していることを示しています。このような点を挙げて、キリスト教徒は処罰されるべき罪科はなく、迫害から解放されるべきであると訴えています。

 これは、新しいタイプのキリスト教徒の出現を示しています。ギリシア哲学の素養を身につけた彼らは、キリスト教に回心した後も、ギリシア文化に根ざしたものの考え方や生活習慣を保持しているのです。そして、ギリシア思想からキリスト教思想への一貫した流れを、自分自身のテーマとして追求しているのです。護教家はそのような意味で、キリスト教の信仰から見たヘレニズムの価値の再発見者であったといえます。そこで彼らは、ギリシア哲学を土台とするキリスト教神学、および思想形成に大いに貢献しました。

 しかし残念ながら、キリスト教に対する誹謗(ひぼう)中傷に対して弁護し、またこれを非難するローマの為政者、皇帝までもキリスト教の理解者として立て、信仰の自由を獲得するという企図が、その時成功したかどうかは疑わしいのです。かのユスティノスは、165年ごろ殉教の途につきます。それで彼は普通、「殉教者ユスティノス」と呼ばれています。

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 次回は、「400年の苦悩」をお届けします。


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