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宣教師ザビエルの夢 29

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第二章 キリストと出会った人々

五、迫害と信仰

ローマ人の見たキリスト教
 2世紀の半ばになると、ローマ帝国内にキリスト教が浸透し始めました。当時のローマ人の目にそれは、どのように映ったのでしょうか。皇帝や執政官、知識人たちが残した記録の中に、その一端をうかがい知ることができます。異邦人から見たキリスト教徒たちの姿は、キリスト教徒自身の描いた姿よりもかえってリアルなイメージを我々の時代にもたらし、ある一面の真実を語ってくれるかもしれません。

 ローマ人にしてみれば、キリスト教徒は「邪悪さのゆえに嫌われた」者たちでした。彼らはローマの神々を拝せぬ無神論者であり、ロバの頭を崇拝する者、「愛餐」と称して人肉を犠牲に捧げ食らう者たちでした。さらに彼らは、近親相姦などの不品行、不道徳を行う者として、辛辣(しんらつ)な非難を浴びせられてしかるべき者たちでした。教義という点からみれば、伝統的な知恵からの未熟な借り物を語り、国家にとっては危険極まりない輩(やから)だったのです。

 ポント州のローマ総督プリニウスが、キリスト教徒と称する者を処罰するかどうか、その扱いについて時の皇帝トラヤヌスに尋ね、皇帝から返書を受けるということもありました。その中には、キリスト教徒の生活は世間の噂ほど不道徳なものではないが、ローマ市民としての皇帝崇拝を拒否していることを咎(とが)める部分があります。時は、ローマの平和と繁栄を極めた五賢帝時代の最中にあったのです。ローマ帝政の平和な時代は、キリスト教徒にとって必ずしも平安な時代ではなかったようです。

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 次回は、「護教家の闘い」をお届けします。


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