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宣教師ザビエルの夢 28

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第二章 キリストと出会った人々

四、使徒の継承者

殉教の道
 当時、真のキリスト者の伝統として最も鮮烈な行為が、実に殉教だったのです。使徒ヨハネの弟子であったポリュカルポスは、捕らえられ槍(やり)で刺し貫かれた後、焼き捨てられました。殉教史上最も老齢な殉教者として覚えられるこの人は、死してなお証し人となりました。イグナチウスはローマに引き行かれる途中親交のあった七つの教会の代表者に、教会の平和と一致を訴える手紙をしたためました。また、殉教は「キリストの清いパン」となることととらえ、喜んで獣の牙(きば)にかかりました。ローマの教会の礎となったペトロとパウロの模範そのままに、その継承者たちも死をいとわず、最高の証(あかし)として死の道を選んだというのです。

 とはいえ今日では、数ある栄光の記録にも二種類の殉教があったと言われています。それは、誇り高い選民として迫害する者に対する蔑視(べっし)をもって勇んで血を流した殉教と、天の願う世界をつくるために最後まで生きて証を立てることを願いながら、もうどうしてもというときになって初めて潔く身をささげた人々の最期でした。特に後者は、「悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」(『新約聖書』ルカ628)との聖書の言葉を携え、柔和な心を失うことなくこの世を去っていきました。どちらが真のキリスト者なのか激しい議論にさらされることになるのですが、賛美されるべき殉教の記録も、後の世にはその動機や心情までも問い直されてしまうようになるのです。

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 次回は、「ローマ人の見たキリスト教」をお届けします。


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