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宣教師ザビエルの夢 25

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第二章 キリストと出会った人々

三、40年目の出来事

哀悼の祈り
 ユダヤ教の中心的な祝祭に「ペサハ(過越祭〈すぎこしのまつり〉)」があります。これはイスラエル民族のエジプト脱出の記念であり、未来におけるエリヤの到来とイスラエル国家の復興を願う祈りの時です。

 その礼拝の中では、出エジプトの物語が語られ、過越の出来事を想起する食事が準備されます。物語がエジプトに下された「十の災い」にさしかかるとき、人々はぶどう酒を満した杯に指を浸し、ぶどう酒を一滴ずつ滴らせます。これは、災いに打たれたエジプト人の苦しみを覚えるためであり、救いの喜びの中に哀悼の祈りを重ねるのです。

 400年余りもの間、隷属を強いてきたエジプト人ではありましたが、長い歳月をかけ祈りの中で彼らへの敵意を拭(ぬぐ)い去ってきたユダヤ人でした。神のみ旨を知らずして滅びゆく者への哀れみと、その悲しみを忘れないようにしてきたのです。キリスト教会から打ち捨てられ、罵(ののし)られてきたユダヤ人たちの悲哀が、その裏にはあるのかもしれません。

 キリスト教会が世界へその版図を拡げていく陰に、このような悲しみを秘めたユダヤ教があることを、キリスト者たちは忘れてはいけないのです。

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 次回は、「父祖の信仰継承」をお届けします。


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