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宣教師ザビエルの夢 23

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第二章 キリストと出会った人々

三、40年目の出来事

40年の歳月
 ここで再びヴァイツゼッカー前ドイツ大統領の言葉を引用します。彼は198558日、ドイツにおける40年目の終戦記念日に、「われわれは、悲しみをもって思い起こします」と言って、記念の演説をしました。その中でユダヤ人の記憶の一部にまでなっている苦い経験を、ドイツ国民が想起することにより、和解の手掛かりをつかもうとしています。なぜなら、ユダヤ人にとって想起することは信仰に不可欠なことであり、未来の希望を生むものであるからだというのです。

 また彼は、「人間の一生におきましても、諸国民の運命の歴史における時間区分におきましても、40年というのは、大きな役割を果たしてまいりました」と語り、旧約聖書にたびたび登場する40年間という期間の出来事と意味を想起しています。そして、そこでの洞察を自国民の歴史に当てて、未来のヴィジョンを語っているのです。(加藤常昭訳、『想起と和解』教文館、1988年)

 ユダヤ・キリスト教の伝統をたずねる者にとって、彼のメッセージは意味深く響いてきます。キリスト教2000年の歴史は、同時にユダヤ教が生き延びていく歴史でもありました。この二つの歴史は、分裂の痛みを抱えながら流れてきました。新しい世紀にこの両者が和解をしていくためには、両者が分かれていったいきさつをたどっていかなければなりません。

 そこで、キリスト教誕生以来の40年間に、想起すべきどのような出来事があるのかをたずねてみたいのです。一個人にとっても、40年というのは決して短い期間ではないように、キリスト教の歴史にとっても、様々な意味をもった期間であったと思うのです。

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 次回は、「エルサレム陥落」をお届けします。


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