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宣教師ザビエルの夢 22

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第二章 キリストと出会った人々

二、聖霊の降臨

ユダヤ・キリスト教の伝統
 このキリスト教会の判断の中で注目すべき観点は、キリスト教の伝統には、ユダヤ教の伝統を無視しようとしたり抹殺してはいけない、との考えがあることです。ごく初期にユダヤ教徒らと敵対し、彼らから分かれていったことは事実ですが、ローマに根を下ろすようになってからも、自分たちがユダヤの伝統に立っていることを否定することはできなかったのです。

 しかし、かつてはマルキオンを異端とし、ユダヤの伝統を尊重していたにもかかわらず、異邦人を中心とするキリスト教が世界を制覇することで、そんなことは全く忘れてしまっていた時代もありました。

 ようやくごく最近になって、ユダヤ教の伝統を学ばずしては、イエス・キリストの実像もキリスト教の歴史や良き伝統も分からないという傾向が、キリスト教会内でも強まってきました。ユダヤ教徒とキリスト教徒の学者が、福音書やイエス時代の歴史をめぐり共同研究を行っているという例も見られるようになりました。

 先日、ユダヤ教に関する勉強会に顔を出したとき、1人の女性がこんな質問をしました。

 「ユダヤ人はクリスチャンが嫌いなんですか」

 寛容なヘブライ大学の講師は、これに答えて言いました。

 「ユダヤ人はクリスチャンを憎んでいるわけではありません。人類は兄弟なのだから。しかし、クリスチャンの掲げるイデオロギーは受け入れることができないのです。それは、ユダヤ人がイエス・キリストを十字架にかけて殺した、というものです」

 このようなユダヤ人の学者の話に興味深くうなずいている参加者は、皆クリスチャンだったという具合です。

 米国に生活してみると、「ユダヤ・キリスト教」という言葉をよく耳にします。キリスト教の伝統に根ざしたこの国では、国民の多くは、自ら「ユダヤ・キリスト教の伝統」に立っているという自覚があるようです。その言葉は、よくよく見ると、キリスト教が葛藤してきたユダヤ教との連続性と飛躍とを、矛盾なく一つにしうる意味をもつものとして、とても重みのあるものに見えてきます。

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 次回は、「40年の歳月」をお届けします。


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