2023.12.11 22:00
宣教師ザビエルの夢 19
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)
白石喜宣・著
第二章 キリストと出会った人々
一、ユダヤ・キリスト教の歴史感覚
●主よ、400年待ちました
セイシ・B・デ・ミル監督、チャールトン・ヘストン主演による映画「十戒」は、見るたびにいろいろなことに気づかされ、そのつど感動を新たにします。モーセが杖をかざすと海が二つに分かれるシーンを思い出される方も多いと思います。これは、言うまでもなく、聖書の出エジプト記を題材にした物語です。
ところでこの映画の中では、同胞を助けようとしたヨシュアが、エジプト人の役人に捕らえられる場面があります。エジプトの王子として育てられたモーセがその出生の秘密を知り、同胞であるヘブライ人と同じ奴隷の姿に身をやつし、苦難を共に味わおうとしていました。そんな時に、捕らえられるヨシュアの姿を目撃したモーセは哀れみを覚え、鞭打たれんとするヨシュアの救出をはかります。その時、彼は勢い余って、役人を殺してしまうというストーリーになっています。その場面で、ことの一部始終を目撃していたヨシュアの台詞(せりふ)がなんとも憎いのです。彼は、恍惚(こうこつ)として天を仰いでつぶやきます。「主よ、400年待ちました。彼こそが、約束された解放者です」と。
イスラエル民族の父祖に託された神様の約束、またエジプトの宰相となったヤコブの息子ヨセフが、死の床で民に再度伝えたその約束の成就を、彼らは400年という時を越えて待ち望んできたのです。この台詞は、イスラエル民族のその感覚を実にうまく表現しています。
ここには、アブラハム、イサク、ヤコブと民族の父祖たちの神様との出合いの体験を、あたかも自分の記憶のように蘇らせることができる感覚があります。個人をとってみれば、わずか数十年の生涯でありながら、その記憶においては、何百年の歴史をさかのぼることができる感覚です。そして彼らには、民族の歴史を人類に対する神の救いの摂理としてとらえ、今日もその流れの中で生きる、という感覚があります。これが、ユダヤ・キリスト教に流れる歴史感覚だと思います。
キリスト教徒は、まさにこの感覚でもって、アブラハム、イサク、ヤコブを信仰の父祖とし、イスラエル民族の歴史をわがものとして引き継いできました。そして、映画の中に描かれたヨシュアのごとく、「主よ、14代、14代、14代待ちました」といって、イエス・キリストの到来を心から喜び祝っているのです。そのキリスト教の歴史もはや、2000年を迎えようとしています。
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次回は、「キリスト教史をたずねて」をお届けします。