https://www.kogensha.jp/

宣教師ザビエルの夢 18

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第一章 日本人とユダヤ・キリスト教

六、浦上に響く教会の鐘

●故郷再建の心
 戦後は、文字どおり信教の自由を得たキリスト教徒でしたが、長崎のキリスト者にとって、徳川時代に綿々と積み重ねられてきた切支丹(キリシタン)に対する憎悪による精神的圧迫感は、容易には拭えなかったのでないかと思います。それがようやくにして慰められたのは、1981年に教皇ヨハネ・パウロ2世が「平和の巡礼者」としてこの地を訪問し、殉教者たちの末裔に直接語りかけたときだったでしょう。ザビエル以来430年余りを経て、日本キリスト教史の大きな節目となったのです。

 こうして、過ぎ去った日本のキリスト者の営みを振り返っていると、イスラエル民族の経てきた歴史、世界のキリスト教徒らの経てきた歴史のうねりと共鳴するものを感じます。諸大名をはじめ、時の為政者の心をとらえ、信者数も急増した輝かしき時代があり、殉教か棄教かの厳しい選択を迫られる迫害時代があり、未来に希望をつなぐ潜伏時代がありました。様々な時代の状況にもかかわらず、何代もの世代を通して貫かれてきた信仰の系譜がここにもあったのです。尊き犠牲と苦難の意味を十分に味わいつつ、理想の実現する未来を見つめ続ける信仰者の歴史は、困難に直面する日本に多くのことを語りかけていると思えるのです。

 また日本のキリスト教の歴史は、その長さから見ても、初代教会がローマ帝国内での苦難を経て、帝国の宗教となっていく期間に匹敵するのです。ローマ帝国においては、4世紀の苦難を忍んだキリスト教は、国家統一の理念として深く根を下ろしていくのです。

---

 次回は、「主よ、400年待ちました」をお届けします。


◆『宣教師ザビエルの夢』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ