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宣教師ザビエルの夢 17

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第一章 日本人とユダヤ・キリスト教

六、浦上に響く教会の鐘

●隣人愛の実践
 希望あふれる帰還も一瞬にしてうち崩されてしまうほどの悲惨なる現実に、いかに打ち勝っていくかが、ユダヤ再建の鍵でした。それを可能にしたのは、捕囚期間にあっても希望を失わず、信仰を鼓舞された「残りの者」たちであり、それを導いた預言者と祭司、政治的指導者でした。

 日本の切支丹(キリシタン)たちにも親族の殉教を目の当たりにしながら、生きて幸福な故郷を再建しようとする「残りの者」が現れました。そして、彼らを精神的にも物質的にも導き得る指導者が与えられたのです。

 帰還後間もなく、浦上をはじめ長崎一帯を赤痢や天然痘が襲いました。このとき一番に救護のため駆けつけたのは、フランス人宣教師・ド・ロ神父でした。彼は、医学と薬学の心得があり、病人の看護とともに、予防法も指導しました。彼の指導を受けて、浦上では4人の乙女と青年たちが、積極的な救護活動に乗り出しました。(片岡弥吉著、『ある明治の福祉像ド・ロ神父の生涯』日本放送出版協会、1977年)彼らは皆「旅」から帰還した、「残りの者」たちでした。彼らが親族から受け取った殉教精神は、隣人愛の活動として花開いていきます。それが修道院となり、孤児などの救護院といった、信仰に根ざした隣人愛の実践施設として実を結びます。(前掲書)さらに浦上復興のしるしとして形をとったものが、赤煉瓦の浦上天主堂でした。ちなみに、19458月に原爆がさく裂したのが、この天主堂の真上でした。

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 次回は、「故郷再建の心」をお届けします。


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