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心情開拓
心霊を育てる生活原則(130)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

10 あなたが成長するために

▲李耀翰先生

(質問2)信仰生活のマンネリ化から脱却するには

 私たちは、自分というものを失っています。神と自分との関係を体験できないから、結局自分を失うのです。神と自分との関係を体験できない人は、それを知ってはいるものの、自己を放置してしまうのです。

 主管圏にいながらも、自分というものがはっきりしないために、どういう立場でだれに所有されて、だれの願いに存在しているかがはっきりしない。そして、生活そのものの中で自分の価値を得られないのです。刺激がないのです。信仰者でも、そういう人は多いのです。

 特に職場にいる人において、失敗しやすいのがそれです。毎日同じ雰囲気の中で仕事をやらされて、その量が多過ぎる時は、必ず仕事に支配されてしまうのです。仕事に支配されると、自分のほうは、ほったらかしになり、重荷になる。それで肉的に支配され、信仰に失敗する。動機はあっても、過程で失敗することが多いのです。

 だから、同じ場所と思ってはいけないのです。いつもその場を聖別しながら、人物ならば、きのうのあの人と思ってはいけないのです。きのうの私だけれど、きょうの私はだれを新しく知るべきかと、そう決意するのです。

 今はこういう時だと、大先生は私たちに教えてくださいます。この「時」を私たちは、忘れてはいけないのです。時を教えるわけは、「あなたたちはこういう時の存在だ」ということを教えるためなのです。「世界」と言われたならば、今、世界的な使命に応じているのだと思わなければならない。しかし、その価値を発見できず、時と自分が違うようになると、力が抜け始めるのです。

 私たちは、毎日同じ食口(シック)だ、同じ場所だ、これが習慣的になってしまっている。そこが危ないのです。

 健康な人は、毎日御飯の味が違います。同じく、情のある人は、毎日が違うのです。情が、喜びの世界が毎日新しく開けるのです。喜びあふれる人は、いつ会っても新しい感じがするのです。新鮮さ、刺激があるか。同じ場所でも希望にあふれている人にとっては、同じ場所ではないのです。

 皆さんが最初に教会に来た時、きのう来た教会と思ったことがありますか。いつも初めてのような気がしたでしょう。恋しい人と会った時に、何遍も会った人と思ったことがありますか。いつも初めて会ったような刺激を覚えます。それは間違いないでしょう。

 情の世界は成長するから、数学的に、打算的に考えるのではありません。情でもって乗り越えないと、量で来る仕事はやりきれなくなります。だから、「信仰者は、どんな場面に遭遇しても、喜び、感謝せよ」と言われるのです。「そうすれば、勝利する。心配が先に出てくると、これは情的立場ではないのだから、いつも祈れ」と言われるのです。

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 次回は、「霊人体が成長するには」をお届けします。


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