2023.11.13 22:00
宣教師ザビエルの夢 15
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)
白石喜宣・著
第一章 日本人とユダヤ・キリスト教
五、切支丹禁制下の信仰
●信仰の自由を待ち望んだ250年
彼らが信仰を保持し得た要因として、切支丹(キリシタン)研究の第一人者・片岡弥吉氏は、神の恵みとともに、切支丹自身の努力を挙げています。つまり、彼らが潜伏組織を編成し、伝統の保持に努めたことです。(『長崎のキリシタン』聖母の騎士社、1989年)当時は、多くの場合、村ごと切支丹になっていたため、村落共同体として、そのような組織はつくりやすかったのかもしれません。信徒による自主的な制度を組織し、生まれて来る子には洗礼を授け、教理と決められた祈りを暗唱し、掟(おきて)を守り、伝統を失わないように努めました。250年後に渡来するプチジャン神父の調べでも、洗礼はほぼ正確に執り行われてきたと、先の片岡氏は指摘しています。
氏はまた、祝祭に欠かせない暦を作成し、密かに季節ごとの祭を執り行っていたことも、大きな要因として挙げています。例えば、彼らは毎年春になると巡りくる復活祭の祝いには、キリストの受難と死、そして復活を思い起こし、苦難を耐え忍ぶ信仰を養ってきたのです。
さらに外海地方では、殉教したバスチャンという名の日本人伝道士の残した予言を信じ、未来に希望を託してきたことが、その要因として挙げられています。予言は、「コンヘソーロ(告白を聞く神父)が、大きな黒船にのってやって来る。どこでも大声でキリシタンの歌をうたって歩ける時代がくる」といったものでした。そしてそれは、7代後のことだと考えられていました。「沖に見えるはパーパの船よ、丸にやの字の帆が見える」こんな歌を密かに口ずさみながら、彼らは潜伏生活の支えとしてきたのです。待ちわびた希望の日は、ちょうど7代目に訪れたのでした。
潜伏時代を耐え抜く切支丹たちの姿をたずねるとき、私は、「現在は過去との再会。未来はこれからあらわになってくるものとの再会」というワルシャワ生まれのユダヤ人宗教哲学者、アブラハム・ヘシェルの言葉を思い起こします。(アブラハム・ヘシェル著、石谷尚子訳、『イスラエル〜永遠のこだま』ミルトス、1996年)生命と信仰を継承させていくことは、いかに大変な営みでしょうか。今日この国の民が、ユダヤ・キリスト教の伝統を知り、潜伏切支丹の苦悩の歴史をわが記憶として想起することができれば、彼らはどんなにか慰めを受けることでしょう。
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次回は、「最後の迫害」をお届けします。