2023.11.06 22:00
宣教師ザビエルの夢 14
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)
白石喜宣・著
第一章 日本人とユダヤ・キリスト教
五、切支丹禁制下の信仰
●潜伏時代
ここまで、日本のキリスト教史の断面を見てきました。キリスト教伝来以来の1世紀を想起するとき、鮮明な記憶として、数々の殉教が脳裏に浮かんできます。多くの殉教者を生みだしたこの時代は、赤き血によって信仰の証をたてた輝かしきものとして、世界のキリスト教史上に刻まれています。
しかし近ごろでは、このような見方に疑問を持つ人も少なくありません。「殉教者」の信仰には倣うべきものがありますが、しかしその時代全体を素晴らしいものとして称賛する見方は、ある意味で西欧キリスト教の理想に基づいて美化されたものではないかというのです。また、神がこの国にキリスト教の宣教師を派遣されたその本来の願いという観点から見て「殉教」がどういう意味を持つのか考えさせられることもあります。
実際、殉教者は当時の全信徒数に比して1パーセントに満たないようです。大半は厳しい迫害の前に棄教したか、もう一つの道をとることになります。それは「潜伏」です。表向きは切支丹(キリシタン)であることを捨てながら、内実は固く信仰を守り継ぐという道です。
1614年に切支丹禁令が出され、宣教師は海外追放、懸賞金をかけての検索制度や五人組による監視制度が次第に整えられ、「踏み絵」による弾圧の徹底が図られます。そのような状況では、外国人宣教師も日本人司祭らも潜伏はほぼ不可能になりました。秘跡を大切にするカトリック信者にとって、司祭不在のままその信仰生活を維持することは困難なことです。しかしながら、切支丹たちは、実に7代250年間にわたって、知恵を凝らして生き延びてきたのです。「輝かしき殉教」よりも、むしろこれほどの長い間、ひとりの聖職者もなく信仰を保持し得たという事実のほうが、驚異すべきことです。
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次回は、「信仰の自由を待ち望んだ250年」をお届けします。