2023.11.07 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 291
キリスト教と日本(70)
470年余りの日本キリスト教史から見えてくるもの
ナビゲーター:石丸 志信
宣教師ザビエルによってキリスト教が日本に伝来してから今日まで470年余りの歳月が流れた。
この連載では一年以上にわたってその歴史を大まかにたどってきた。
最初の40年、宣教師たちの献身的な活動を通して日本におけるキリスト教基盤は西日本を中心に拡大した。
大名たちの中には、西欧の技術文化を積極的に導入し、併せて新しく知ったキリスト教の倫理体系を好意的に受け止めた者もいたので、その領内ではキリスト教が保護され、信徒も爆発的に増えていった。
しかしながら、このままキリスト教信仰が広がり、ポルトガルやスペインなどの国々が自由に往来し、経済活動においても競合するようになれば、日本にとっては不都合であると考えた天下人・豊臣秀吉は、キリスト教を弾圧するようになる。
日本で初めて国家的弾圧の下に殉教者を出し、その後キリスト教徒は厳しい状況に置かれることになる。
間もなく豊臣秀吉が亡くなり徳川の天下となった折、一時キリスト教はその教勢を大いに伸ばす。しかし徳川幕府は、オランダとの交易を進める中、カトリック諸国の進出を警戒し禁教令を出す。
二代将軍秀忠の統治下で最も多くの殉教の血が流されていく。
ところが幕藩体制が確立する家光の時代には、殉教から改宗へと方策を転換し、キリスト教信仰を根絶やしにする弾圧政策へと転じた。
この弾圧政策は明治維新後まで約250年間続き、キリスト教の何たるかを見たこともないにもかかわらず、「邪教」のイメージが国民の中に定着していった。
こうして見ると、キリスト教は日本の文化に合わないので伝道に失敗したというわけではなさそうだ。
早い段階で大きな成長を遂げたが、為政者の判断によって国家・国民の精神的な支柱に据えることを拒否し、かえってその影響をそいでいった結果、主流宗教になり得なかったといえる。
幕末から明治期にかけても、再び世界宣教時代の波に乗ってカトリック・プロテスタント両陣営から宣教師たちが来日し、困難な環境の中でもキリスト教徒になる者たちが現れ復興があった。
しかしこの時も、新たな国家体制の下、キリスト教が国民の精神的支柱に据えられることはなかった。
戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策もあって、キリスト教の復興が図られたが、その勢いも長くは続かなかった。
日本は自由と民主主義の価値観に基づく国家に生まれ変わっていったものの、そこに浸透してきたのは無神論・共産主義だった。
その影響が拡大する危険性を見通していた文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁は、まさに、この時に一人の宣教師を日本に送ったのである。
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