2023.10.21 05:00
スマホで立ち読み Vol.28
『拉致監禁』27
世界平和統一家庭連合 総務局/編
スマホで立ち読み第28弾、『拉致監禁』を毎日朝5時にお届けします。
本書は現在の報道の背景を理解するとともに、拉致監禁の再発を防ぐために作成された一冊です。ぜひお読みください。
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第二章 痛哭と絶望を超えて
残された心の傷①
私は1992年8月25日、韓国・ソウルで挙行された「3万双国際合同祝福結婚式」で結婚し、その後、家庭を持ちました。現在(2009年)、3人の子供がいます。
私は2006年8月、鬱病になりました。子育ても家事もできなくなり、真っ暗なトンネルに入ったような心境を味わいました。「この思いは……どこかで味わったことがある……」。そして、13年前に体験した拉致監禁を思い出したのです。
私は、忘れようとしてきた過去にようやく向き合い始めました。そして、そのことを通して、拉致監禁を体験した私だけでなく、当時婚約者であった主人も大きな心の傷を受けていたことが見えてきたのです。私の体験を報告します。
監禁開始
1993年12月23日、私は家族から散髪を頼まれ、実家に帰った時に拉致されました。拉致された後、私は京都のマンションに69日間監禁され、さらに、日本イエス・キリスト教団・京都聖徒教会内に軟禁されてから38日目に、何とか逃げることができました。
両親は、最初親族の紹介で、八尾ルーテル教会に相談に行き、そこで聖書の勉強を勧められ、洗礼を受けたそうです。両親は、その八尾ルーテル教会で京都聖徒教会の船田武雄牧師を紹介されたのです。船田牧師の「相談会」に参加するようになった両親は、そこで船田牧師から指導を受け、拉致監禁を計画するようになったといいます。
また、母の従兄弟(いとこ)で、日本基督教団に所属し、当時、台湾宣教師であった二ノ宮一朗氏も、京都のマンションの中に2週間ほど一緒にいました。
拉致された日のことです。家族の散髪を終えて帰ろうとすると、両親が「駅まで送るから」と言って、一緒に家を出ました。ところが、数分歩いた路上で、私は突然、サングラスをかけた数人の男女に取り囲まれたのです。
突然のことで何が起こったのか分からず、私は恐怖心で大声を上げ、助けを求めました。しかし、どうすることもできず、そのまま強引に、車に押し込められてしまったのです。
私が押し込まれた車の前には、別の車が1台ありました。さらに後ろにも1台停(と)まっていて、彼らはトランシーバーで連絡を取り合いながら走り出しました。見ると、私が乗せられた車の運転席には、親戚の叔父、助手席には父がいたのです。妹と母が、私の腕をしっかり握っていました。
そのまま、京都のマンションまで連れていかれました。車から降りても、私が逃げないように、家族は私の腕をしっかりつかみ、エレベーターの中では、何階で降りるのかさえ見せてくれませんでした。私をマンションの一室に入れると、親は玄関ドアに鍵とチェーンを掛け、そのチェーンに、さらに南京(なんきん)錠を掛けて、私の靴もどこかに隠してしまいました。
私は、家族がこのようなことをしたことにショックを受け、あまりの悔しさで、正常な気持ちでいることができませんでした。
こうして、私の監禁生活が始まったのでした。
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次回は、「監禁されたマンションの中で」をお届けします。
★「我々の視点」脱会説得による悲劇②
★「拉致監禁」問題を考える特別シンポジウム(2023年9月10日)ダイジェスト映像