2023.10.17 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 288
キリスト教と日本(67)
戦前、戦後の日本のプロテスタント諸派事情
ナビゲーター:石丸 志信
第2次世界大戦下において日本のプロテスタント諸派はどのように扱われ、どのように行動したのだろうか。
1939年4月に宗教団体法が公布され、多数の宗教団体を整理統合し、国家の統制下に置くことになった。
これにより教団設立許可の最低基準は教会数50、信徒数5,000人との方針が出された。
諸教派はそれぞれ教団設立に取り組み、数が満たない教派は合流、合併の道を模索した。
その矢先、救世軍の幹部がスパイ容疑で憲兵に取り調べを受ける事件が起こった。
そこで、有志が全プロテスタント諸教派の合同を呼びかけた。
1940年10月17日、「皇紀二千六百年奉祝」の全国基督教徒大会で合同を宣言。教団創立準備委員会を経て、1941年6月24日~25日に教団創立総会が開催された。統理者に富田満が選ばれ日本基督教団が出発した。
キリスト教史において20世紀の潮流となったエキュメニズム運動(教会一致運動)の影響がなかったわけではないが、日本基督教団の設立は、政府が宗教の統制を強める戦時下での生き残りを懸けた格闘だった。
教団設立後もなお、政府の統制はさらに強化され、時に弾圧が加えられた。
1945年8月、終戦。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策により宗教団体法は廃止され、代わって宗教法人令が出され、国家による宗教の統制は除かれた。
さらにキリスト教の活動を支持したので、宣教の好機として多くのプロテスタントの宣教師が日本に派遣された。
青年たちもキリスト教に関心を持ち、教会の門をくぐり、一時キリスト教ブームが起こった。
半ば強制的に組織された教団であったが、一致団結して伝道に当たろうとの思いから存続を図った。
新しい教憲、教規および教団諸規則を定め、改めて組織と信仰の一致に取り組んだ。
そして、1946年6月から3年間、「新日本建設キリスト運動」を実施。「三百万救霊」を掲げて全国で大衆伝道集会、求道者のための教会教育を展開した。
賀川豊彦もこれに加わり、全国を駆け回った。さらに、1949年から5カ年伝道を実施。伝道の拠点となる各個の教会の強化建設、信仰的訓練の充実を図ることになった。
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