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シリーズ・「宗教」を読み解く 287
キリスト教と日本(66)
「神々のラッシュアワー」

ナビゲーター:石丸 志信

 「蟻(あり)の街のマリア」と呼ばれた北原怜子(さとこ)の物語は、生前すでに演劇になり、亡くなった直後には映画化され、全国に広く知られるところとなった。

 1950年代の日本では、ゼノ修道士、永井隆博士も同様に時の人として知られていた。
 戦後の復興期において、彼らの活動は隣人愛に生きるキリスト教精神の実践モデルとして広く宣伝され、日本国民にキリスト教は好意的に受け入れられていた。

 永井隆は病床に倒れてから精力的に著作を著した。
 『ロザリオの鎖』(19486月発行)、『この子を残して』(19489月発行)、『亡びぬものを』(19489月発行)、『生命の河』(194812月発行)、『長崎の鐘』(1949年1月発行)、『いとし子よ』(194910月発行)、『花咲く丘』(19496月発行)、『如己堂随筆』(19518月発行)、『乙女峠』(19529月発行)などの他、研究論文や翻訳もある。

 永井隆の半生を描いた『長崎の鐘』はベストセラーとなり、英語をはじめ多くの言語に翻訳された。
 また、同書をモチーフにした歌謡曲が作られ、藤島一郎の歌で大ヒットした。翌年には、同名タイトルで映画化された。
 中学生の修学旅行で長崎に行った時、バズガイドが『この子を残して』の一節を紹介してくれたのを筆者も覚えている。

 北原怜子は、蟻の街への理解を広めるため『蟻の街の子供たち』(1953年)を発行。同年、演劇『蟻の街の奇跡』が公演されている。
 怜子が亡くなった1958年には「先生」と呼ばれた松居桃楼(とうる)が『蟻の街のマリア』を著し、同年、同名で映画化された。

 こうしたキリスト教ブームは、一つには日本の民主化を図るGHQ(連合国最高司令官総司令部)の占領政策の一環であった。
 戦前の価値観を全面的に否定され、これからどのような価値観で生きていったらいいのか苦悩した青年たちが、こうした情報に感化されキリスト教に入信した。

 1945年から1960年までの時期は、日本のキリスト教史において第三の復興期であったといえる。
 またこの時期、1945年に宗教法人令が施行され、1951年には宗教法人法が成立。信教の自由が強調され、新興宗教団体も相次いで設立された。
 米国の専門家は日本のこの時期を「神々のラッシュアワー」と呼んでいる。



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