2023.10.09 22:00
宣教師ザビエルの夢 10
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)
白石喜宣・著
第一章 日本人とユダヤ・キリスト教
三、海を越えた切支丹
●ペトロ岐部の人生と日本の命運
彼の五十余年の生涯を振り返ってみれば、下降線をたどる切支丹(キリシタン)の運命に抗し、これを押し上げようとするかのごとき戦いの人生でした。切支丹撲滅を図る勢力と岐部(きべ)神父が正面からぶつかった時、彼の生命はついえ、日本は鎖国に踏み込みました。
松永伍一氏は、その書(『ペトロ岐部——追放・潜入・殉教の道』)を「わが国にとって17世紀に世界を歩いてユダヤ教徒、イスラム教徒などの生態をも知った最大の国際人を、鎖国の徹底化と引き替えに殺した不幸な事件ともなった」と結んでいるのですが、その言葉に、私ははっとさせられました。
確かに、彼こそは世界を歩き、生身に世界の三大宗教とその文化伝統を体験した人物でした。異質な言語、文化伝統に接するとき、多くの葛藤を覚えたに違いありません。また、異教の民と生活を共にする間、それをどのように見つめていたのでしょうか。そうした葛藤を乗り越え、彼の信仰と人格は純化され、親から受け継いだキリスト教精神を自らの努力で実らせました。
キリストを愛し、同胞を愛する日本人にして国際人、その一人の人物を日本国が殺してしまったということは、いかに不幸な出来事だったのでしょうか。またその一方で、東洋も西洋もない信仰の確立を己の内に成し得たであろう日本人キリスト者が、愛する祖国を国際社会の中に立たしめ、神の願う国家の理想を与えることのできなかった哀しみは、いかばかりであったでしょうか。それは、国にとっては世界からの孤立であり、信仰者にとっては、7代の潜伏切支丹の運命として引き継がざるを得なかった恨みです。
---
次回は、「ザビエルとイエズス会/宣教師たちの日本人観」をお届けします。