祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂 123
信仰の三人の息子、娘が必要

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。
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(光言社・刊『祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂』より)

第三章 神氏族的メシヤの責任完遂

第三節 神氏族的メシヤが歩む公式路程

(一)祝福を受けるための信仰の三子女復帰①

 サタンが讒訴(ざんそ)する内容が残っていない私自身になっているかという問題、またそうすることのできる内容を私自身が備えているかという問題を中心として、ここに蕩減(とうげん)条件という言葉が出てくるのです。その蕩減条件を立てようと思えば、まず信仰の三人の息子、娘が絶対的に必要です。なぜなら、アダムとエバが堕落することにより、堕落した八人家族になったので、その八人家族を代表する基準を超えなければ行くことができないからです。

 それを備えずに、「民族のために生きる。国家のために生きる。世界のために生きる」と言っても、その言葉は単なる形式にすぎません。このような出発の起点において、この基準は絶対的だというのです。その絶対的基準を解決していくべき運命の道にあるのが祝福の位置だということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。(301821970.3.22

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 明日は、「三天使長の復帰」をお届けします。