2023.08.08 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 279
キリスト教と日本(58)
原爆で犠牲となった約8千人のキリシタンの末裔たち
ナビゲーター:石丸 志信
明治維新前夜に村人がこぞってキリシタンであることが発覚し、3400人が一挙に捕らえられた浦上四番崩れ。明治維新政府によって全国22カ所に配流され、改宗を迫られた。
明治6年になってキリシタン禁制は廃止され浦上の信徒たちは故郷への帰還が許された。しかし荒れ果てた故郷の再建は困難の連続だった。
かつてバスチャン様が予言した信仰の自由の時がようやく訪れた喜びは大きかったが、まだ耐えなければならない環境圏が残っていた。
恐らく経済的困窮よりもつらかったのは、町に災禍が押し寄せてくると、必ずと言っていいほど「邪教徒」であるキリシタンのせいだと敵視されたことだろう。
300年間ご法度だった「邪教」をひそかに信じてきたのはなんとも不届きな者たちだというわけだ。
そうした状況にあっても、信徒たちは忍耐し、先祖から教えられてきたとおり慈悲の行為を実践し、神の愛を証ししてきた。
しかし何年たっても人々の偏見はなかなか拭えるものではない。70年を経て、ここにさらなる悲劇的な出来事が襲いかかってきた。
1945年8月9日、午前11時2分。広島に次ぐ2発目の原子爆弾が長崎・浦上に投下された。
第一目標は小倉であったが、上空が雲に覆われていたため投下に失敗、第二目標の長崎に変更された。
爆心地は浦上天主堂にほど近い松山町のテニスコート上空だった。
長崎市民約24万人。死者73,884人・負傷者74,909人。市内総戸数の約36%が罹災(りさい)した。その内、浦上天主堂周辺に住んでいたキリシタンの末裔(まつえい)であるカトリック信者、約8,000人が犠牲となった。
被爆78周年となる今年、この日には、原爆犠牲者の慰霊のため、静かに手を合わせて祈りたい。
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