2023.08.06 22:00
ダーウィニズムを超えて 18
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。
統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著
第二章 進化論を超えて─新たな展望
(一)生命の波動
(1)突然変異と自然選択が生物を造ったのか
ダーウィニズムの根本的主張は、突然変異と自然選択(自然淘汰〈とうた〉)によって生物は進化したということである。突然変異はランダムな偶然的な変異であるが、それを自然選択がフィルターにかけながら新しい種を形成していくというのである。
ニューヨーク大学の生化学教授イタイ・ヤナイ(Itai Yanai)と、デュッセルドルフのハインリッヒ・ハイネ大学生物情報学教授マルティン・レルヒャー(Martin Lercher)は「自然選択のプロセスが、生物の世界のすべての奇跡を生み出したと言っても過言ではない(*1)」とまで言う。
そして著名な進化論者たちは自然選択をあたかも創造主のように考えたのであった。すなわち、自然選択について、ドブジャンスキーは作曲家 、シンプソンは詩人、メイヤーは彫刻家、ハクスリーはシェークスピア、ドーキンスは遺伝子エンジニアにたとえたのであった(*2)。これでは、まるで創造主と変わりないものである。はたして自然選択に創造主に代わるような創造性があるのであろうか?
(2)突然変異は同種内での変化にすぎない
突然変異と自然選択によって、新しい種が生まれるのであろうか。シカゴ大学の進化生物学教授であるジェリー・A・コイン(Jerry A. Coyne)は「突然変異は、すでに存在している特徴に生じる変化である。これがまったく新しい特徴を生み出すことはまずありえない(*3)」と言う。では、実際には、自然選択はどれだけのことができるのであろうか? 次のように言っている。
たしかに淘汰は鳥のくちばしや植物の開花時期を変えられるだろう。だが、これに複雑なものが構築できるのか? 四足類の肢のような入り組んだ形質は? 血液凝固のような、多くのタンパク質を絡めた一連の段階を正確に踏んでいかなくてはならない、緻密で精巧な生化学的適応は? そして、これまで進化してきたもののなかで最も複雑な装置かもしれない、人間の脳は?(*4)
ジェリー・A・コインは自然選択(淘汰)でこれらを説明するのは困難であって、「この点について、われわれ[進化論者]はいささかハンディキャツプを抱えている」と認めながらも、「淘汰が本当に関わっていたかは確かめようがない。創造論者は、淘汰にできるのは生物に小さな変化をもたらすことだけで、大きな変化については無力だと言うが、それが誤りだとどうしてわかるだろう。だが、そもそも考えてみてほしい。これに対抗する別の仮説があるのだろうか? (*5)」と、結局は、自然選択を認めるしかないと言い、さまざまな事例を挙げながら、創造論に対する進化論(自然選択説)の優位性を論証しようと試みているのである。
ダーウィンは、動物の育種を進化学説のモデルとした。しかしセント・アンセルムカレッジ教授(哲学、科学論)のロバート・オークローズ(Robert Augros)と、科学論専攻のジョージ・スタンチュー(George Stanciu)が言うように、「育種実験で動物の新種がつくりだされたことは、いまだかつてないのだ。したがってすべての進化的変化に漸進説を外挿するというダーウィンのやり方は、不確かな機構に基づくことになってしまっている(*6)」のである。
ダーウィンは、同種内での変化にすぎない変異と、その中から適者を選ぶだけの自然選択を新たな種の誕生ということに結びつけて拡大解釈をしてしまったのである。したがって、ダーウィンに追従する進化論者が、自然選択で新たな種の誕生を説明しようとしても、それは不毛な試みでしかないのである。
*1 イタイ・ヤナイ、マルティン・レルヒャー、野中香方子訳『遺伝子の社会』NTT出版株式会社、2016年、35頁。
*2 スティーヴン・グールド、浦本昌紀・寺田鴻訳『ダーウィン以来』早川書房、1986年、上巻、59頁。
*3 ジェリー・A・コイン、塩原通緖訳『進化のなぜを解明する』日経BP社、2010年、45頁。
*4 同上、240~41頁。
*5 同上、241頁。
*6 ロバート・オークローズ、ジョージ・スタンチュー、渡辺政隆訳『新・進化論:自然淘汰では説明できない』平凡社、1992年、295頁。
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次回は、「ゲノム重複、遺伝子重複、遺伝子浮動は進化の原動力か?」をお届けします。