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勝共思想入門 46

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)

光言社・刊

第十二章 マルクスの根本矛盾とその克服 -総括として-

一 何が問題なのか

(二)マルクスの矛盾点
 マルクスの人間の本質理解は、「感性的活動の主体」というものでした。この概念には、明らかに矛盾している内容が含まれています。受動的要素としての感性と、能動的要素としての活動の主体という二つの要素が共にあり、どちらも本質としてとらえられているところから来るものなのです。

 マルクスの唯物史観の立場からすれば、「人間の意識が存在を規定するのでなくして、逆に人間の社会的存在が意識を規定する」(『経済学批判』)ということであり、これは、人間が物質的な諸条件の前に受身の立場に立っていることを示しています。つまり、人間の感性的本質を表しているということです。感性は、環境から与えられる刺激を受け感応するという受動的能力を意味するからです。また、この立場に立たなかったら、私有財産制度を基礎とする資本主義社会をプロレタリアートによる革命を通して、暴力的に破壊することの意味がないのです。

 環境の変革が人間の自己回復につながるというのは、人間が社会的存在によって意識が規定されていると考えることが基礎となっている、つまり、人間の本質は受身的感性であるということなのです。

 ところがマルクスは、もう一方で能動的活動としての労働を本質として扱っていることもまた事実なのです。この能動性から自由が解かれてくるのです。

 すると、受身的感性が本質なのか、能動的労働、生産性が本質なのか分からなくなってしまうのです。もちろん現実の人間に、両者の要素があることは事実です。しかし、どちらも本質というのでは、人間疎外の理解もその解決方法も明確に示すことができません。

 マルクスが最後の結論として資本主義社会の革命を主張したということは、やはり感性的人間としての人間観を根本にもっていたといえるかもしれません。そして、多くの正統派マルクス主義者の立場は、これに準ずると思われます。

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 次回は、「真の解決の道 ~人間とは何かの再検討」をお届けします。

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