祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂 42
神様の息子、娘だという自覚

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします。
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(光言社・刊『祝福の絶対価値と神氏族的メシヤの責任完遂』より)

第一章 祝福の絶対価値

第四節 祝福家庭のあるべき姿

(一)天の父母様の息子、娘であると自覚する私②

 先生と皆さんが父子の関係にあるとすれば、ここに真(まこと)の父母と真の子女の関係が成立しなければなりません。ところが、その真の父母と真の子女の関係は、皆さんと先生自身がいくら結ぼうとしても、結ぶことはできないのです。ここに神様が介在しなければなりません。先生の家庭に神様が共にいると同時に、皆さんにも神様が共にいて、その神様が結んでくださってこそ、そこで新しい天の家庭の心情を体恤(たいじゅつ)することができるのです。

 ですから、これから皆さんが真の父母に対して感じなければならないことは、神様を中心とした一つの父母だということです。そのような考えが自然に生じなければなりません。春の季節になれば、太陽の方に向かって新しい芽が出てくるように、自分の心にそのようなものが芽生えてくることを感じられる皆さんにならなければなりません。

 そのために最も重要な問題とは何かというと、自分は神様の息子、娘だと自覚することです。「私は間違いなく神様の息子、娘だ」という自覚をもたなければなりません。「私は間違いなく神様の息子、娘だ。サタン世界と区別された神様の息子、娘だ」と自覚できる自分を発見しなければならないのです。それが第一の問題です。

 堕落とは何かというと、自分は神様の息子、娘だと感じられなかったことです。そのような自覚ができなかったことが堕落です。ですから、今日の皆さんは、反対に神様の息子、娘だということを自覚しなければなりません。「私は、神様と真の父母の名によって、真の父母の息子、娘として生まれた」と自覚することによって、その場から新しい天の心情に連結されるのです。(901921977.1.1

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 明日は、「不足でも自信を持って進む」をお届けします。