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スマホで立ち読み Vol.22
『日はまた昇る 蘇る日本』16

統一思想研究院・編著

(光言社・『日はまた昇る 蘇る日本』〈2012101日初版発行〉より)

 スマホで立ち読み第22弾、『日はまた昇る 蘇る日本』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
 1960年代から80年代にかけて日本と世界の共産化の危機を救ったのは、文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の勝共運動だった! 本書では文総裁の歩みを紹介し、共産主義の理論の批判と代案を提示するとともに統一思想の観点から見た日本再生のビジョンを提唱します。

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Ⅰ 共産主義の終焉と天一国時代の到来

15)ソ連帝国の崩壊

 1991年1225日のクリスマスの日、文先生が宣言されたように、ソ連の崩壊が現実のものとなりました。

 ジュネーブは、キリスト教文化圏が、反対を受けながら出発したキリスト教の発生地です。……ジュネーブのその講堂は、共産主義の滅亡を宣言した闘いの場です。それ(共産主義の滅亡)は夢のような話なので、だれも信じませんでしたが、本当にそのとおりになって世の中が驚いたのです。(文鮮明 2006.3.29, 清平)(『ファミリー』2006.6,22)

 「共産党は、73年間が過ぎれば滅びる」と言ったのですが、そのとおりになりました、共産党が滅びる5年前に、「スイスで世界のあらゆる学者たちを招集して、ソ連帝国滅亡宣布をしなさい!」と言うと「気が狂った」と言われました。ソ連帝国を研究する学者や博士たちが、「どんなに考えてもそれはあり得ないことなので、レバレンド・ムーン(文牧師)、あなたはなぜ、そのように言うのですか? どうか、そのように言わずに、『そうかもしれない』という話にしてください」と言って、2回もやってきました。「5年内に共産党が滅びれば、どうしますか?」と言ったのですが、実際、5年以内に滅んでしまいました。(文鮮明 1997.3.10, 清平)(『ファミリー』1997.5,25)

 私は、(ゴルバチョフに)「マルクス・レーニン主義は終わった。レーニンの銅像を撤去せよ」と言ったのです。……虎の穴ではなく、虎の口であっても入って行かなければなりません。断固として、神様の御名と共にモスクワに行って、ソ連が行くべき方向を完全に引っ繰り返して来たのです。それから一年半たって共産党は消え去りました。(文鮮明 1992.1.26, ソウル)(『ファミリー』1992.8,9)

 文先生は、1992年8月22日、ソウルで開かれた第12回世界言論人会議において、ソ連崩壊に「ワシントン・タイムズ」が果たした役割を強調して、次のように語りました。

 ついに共産圏は1989年11月9日、ベルリンの壁の崩壊とともに音をたてて崩れ去り、1991年12月25日のクリスマスの日を期して、74年間世界を恐怖のるつぼに追い込んだ無神論に立脚した共産主義帝国[ソ連]は、ついに地上から完全に消滅してしまいました。私は「ワシントン・タイムズ」がこの仕事のすべてをやったとは思いません。これは神様の摂理の歴史の中であるべき必然的結果なのです。しかし神様も、地上のことはすべて人間を通してなされるのです。私は「ワシントン・タイムズ」が共産主義の終焉をもたらすことにおいて、決定的な役割を果たしたということに、寸毫の疑いも持ちません。(文鮮明 1992.8.22, ソウル)(『ファミリー』1992.12,16)

 20世紀の世界を震撼(しんかん)させた共産主義のソ連帝国が、ほとんど犠牲者を出すことなく、まるで幻のように消えていきました。これは正に20世紀最大の謎でありました。評論家の佐伯彰一氏は、レーガン大統領の「スター・ウォーズ」計画(SDI)が決定的な役割を果たしたのではないかと言っています。

 私としてこれぞ「最大のナゾ」と声を大にして言いたいのは、「米ソ冷戦」が、ついに「ホット・ウォー」に至ることなく、決着がついたのは、いったい何故か、どうしてか? という問題だ。第二次大戦後、ほとんど間もなく始まった米ソの対立は、見る見るうちに険しさを増して、「冷たい戦争(コールド・ウォー)」という呼び名が、忽ち広く通用するに至った。……いつ何時これが発火して、「熱い戦争(ホット・ウォー)になり変わっても不思議はないとさえ思われた。

 今からふり返ると、このレーガン流の奇手こそが、ソ連体制の息の根をとめる上で、思わぬ大役を果たしたのでは?という気がしてならぬ。……レーガンのこの少々トッピすぎる「スター・ウォーズ」計画が、いわばとどめの一撃の役割を果たしたのではなかったろうか? ……これをしも余りに奇想天外な愚答といわれるならば、ではソ連体制は、何故あぁもアッケなくほとんど一気に崩壊したのか? 別の見事な解答をお示し願いたいものだ。(佐伯彰一「産経新聞」1997.12.30 )

 元ゴルバチョフ大統領首席顧問であったアレクサンドル・ヤコブレフは、ソ連の崩壊は1985年に始まったプロセスの帰結であったと言います。そして彼は、それが何によってもたらされたのかと問いながら、ゴルバチョフが成したのか、サハロフやソルジェニーツィンのようなインテリゲンチャがソ連を告発したためか、あるいはデモン(サタン、悪魔)のなせる業かと、問うています。

 1985年以前には、議会制共和国、議会型政権など考えることすらできなかった。複数政党制度など問題外だった。帝国の崩壊などありえないことだった。……冷戦が終り、核超大国の対決が消えた。これは全て奇跡でも魔術でもなく、1985年に始まったプロセスの帰結だった。さて、そこで問うて見たい。ゴルバチョフ、あるいはその他誰でもよい。今や勝利者や英雄を気取りたい人間が五万と出ているが、その誰でもよい。その人間にこれ以上のことが果たして可能だったのだろうか? ……だが、我が国のみならず全世界にとって新しい歴史的な時代が1985年に始まったことはまぎれもない事実なのだ。……だが、その急変それ自体がいったいなにによってもたらされたのかを問うてみてもよいのではないか? デモンのなせる業だったのか? 魔力か? それとも言論発表の自由のなさを嘆くインテリゲンチャのため息によってだったのか?(『歴史の幻影』日本経済新聞社、29〜30)

 ヤコブレフはソ連の高官でありましたから、ソ連が崩壊したのは悪魔の仕業のように思われたのかもしれません。しかしそうではありません。神様と真の父母様(文先生御夫妻)がなされたみ業でありました。もちろん、サッチャー首相、レーガン大統領、ゴルバチョフ、そしてレーガン大統領を支えた日本の中曽根首相などが、大きな貢献をしたことは事実です。しかし彼らの背後にあって、彼らを導いたのは神様と文鮮明先生でありました。歴史はやがてそのことを明らかにすることでしょう。

 かくしてソ連は崩壊し、冷戦は終結しました。そして1992年、ソ連崩壊後、歴史は新たな出発をすることになりました。

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 次回は、「メシヤ宣言」をお届けします。お楽しみに!



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