https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=4161

スマホで立ち読み Vol.22
『日はまた昇る 蘇る日本』15

統一思想研究院・編著

(光言社・『日はまた昇る 蘇る日本』〈2012101日初版発行〉より)

 スマホで立ち読み第22弾、『日はまた昇る 蘇る日本』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
 1960年代から80年代にかけて日本と世界の共産化の危機を救ったのは、文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の勝共運動だった! 本書では文総裁の歩みを紹介し、共産主義の理論の批判と代案を提示するとともに統一思想の観点から見た日本再生のビジョンを提唱します。

---

Ⅰ 共産主義の終焉と天一国時代の到来

14)金日成主席との出会い

 ソ連崩壊の直前の19911130日、文先生は突如として北朝鮮を訪れ、126日、文先生を幾たびか死地に追いやった怨讐(おんしゅう)である金日成(キム・イルソン)主席と歴史的な出会いをしました。旧約聖書にはヤコブとエサウの物語があります。弟ヤコブは神の摂理に従って兄から長子の特権を奪いましたが、そのことで、兄エサウから殺されそうになりました。母の里であるハランの地に逃亡したヤコブは、21年の苦労の末に、ハランの地で得た財物をエサウに贈り物として捧げることにより、兄エサウは弟ヤコブを歓迎し、二人は抱き合いました。文先生はヤコブの立場、金日成主席はエサウの立場であり、文先生と金日成主席の出会いは、まさに現代のヤコブとエサウの出会いでありました。

 私は去る11月30日、天まで届く怨讐共産主義の国、北朝鮮を訪問しました。一生を反共勝共でもって生きてきた私が北朝鮮に行ったという報道は、全世界を驚愕(きょうがく)させました。しかし、私は金日成主席の温かい歓迎を受けました。私は彼と熱い抱擁をしました。彼は私を怨讐視した者であり、私を殺そうとした者であり、私を3年間も監獄に閉じ込めた者でした。私はそのような怨讐と抱擁をしたのです。私の心の中に彼が怨讐だという思いがあったならば、これがどうして可能になったでしょうか。私は父母の心情で北朝鮮に行ったのです。私は父母の心情で金日成主席を抱き抱えたのです。私は真の愛を実践するために行ったのです。ここには闘争の概念がなく、憐憫(れんびん)の情があるだけであり、与えて与えて、また与えても与え足りない温かい父母の心情があるだけでした。(文鮮明 1992.8.20, ソウル)(『ファミリー』1992.12,20)

 かつて北朝鮮の監獄で3年近く、拷問と過酷な強制労働を受けられた文先生にとって、金主席は恨みの相手であり、また金主席にとって、勝共運動の推進者であった文師は「悪の頭目」であって、共に相いれない関係にありました。しかし文先生の真意は、金主席と北朝鮮を打倒することではなく、破綻した北の経済を支援しながら南北の平和統一を実現するということでした。そのことを理解した金主席は文師を受け入れたのです。

 文師は金主席との会談に先立って、北朝鮮の国会議事堂で「主体思想では南北統一はできない」と述べ、「南北の統一は力によるものや、どちらかが一方的に飲み込むのではなく、頭翼思想、神主義によって、南と北の価値観を統一することによって行われるべきだ」と訴えました。「主体思想を汚すものは死刑および全財産の没収」とされている北朝鮮で、主体思想を批判するということは考えられないことであり、北朝鮮の高官は真っ青になりました。

 しかし文師の命懸けの宣言は、金主席を憎むからではなくて、怨讐を許し、兄弟として愛する、真なる愛に基づいたものでありました。そのため金主席は主体思想を批判した文師と会ったのです。その結果、のちに北朝鮮の高官が漏らしたように、「主体思想に穴が開いた」のです。文師の宣言は、完璧な主体思想の中で身動きできなくなっている金主席と北朝鮮の高官たちを解放する役割を果たしたのです。

 文師との会談の後、金主席は上機嫌であったといいます。同席した北朝鮮の高官は「主席のあのような姿は初めて見ました。主席の新しい一面を発見した思いです」と語って、会談の成功を喜びました。

 文先生は、イエス様がエルサレムに上がっていって、商売人たちを全部、蹴飛ばして引っ繰り返した時と同じように、北朝鮮に行って、王の立場で君臨している金主席と、その思想である主体思想を批判しました。それは正に命懸けの行為でした。

 イエス様がエルサレムに上がっていって、商売人たちを全部、け飛ばして引っ繰り返した時と同じ行動を執らなければならないのです。それは、生命を懸けてすることなのです。北の国会議事堂の万寿台に行って、「金日成の座を差し出せ」って? 考えてもごらんなさい。そのようなことをして戻って来たのです。(文鮮明 1992.1.26, ソウル)(『ファミリー』1992.8,10)

 私は北へ行って、一番悪い話から先に語ったのであり、先に良い話をしたのではありません。そのように、生命を投げ出して対決しなければなりません。そうでなければ、根が抜けないのです。私が根を抜いてあげなければなりません。スコップを根の下まで差し込んでやらなければなりません。適当に合わせていては、根の途中を切ってしまうのです。そうなれば、根が再び生き返るのです。

 私は、そのように戦ってアメリカを屈服させ、ソ連を屈服させたのです。北韓ともそのように戦ったのです。彼らは文総裁の思想がどんなに偉大であるかよく知っているのです。南北の統一は、共産主義理論をもってもできないし、主体思想をもってもできないということをよく知っているのです。……

 「神様はいない」と言っている彼らに、「神様はこのように生きている」と教えて、科学的論理でもって武装されていた共産主義理論を抜き取ってあげ、その空白を埋めることのできる精神的、思想的、宗教的内容をもって、神様の確証を提示できる理論的な宗教の教理は、この文総裁にしかありません!(文鮮明 1992.1.26, ソウル)(『ファミリー』1992.8,23〜25)

 文先生と共に北朝鮮を訪れて、金日成主席と会った韓鶴子(ハン・ハクチャ)夫人は次のように語っています。

 大韓民国の統一は政治家によってのみ解かれていく問題ではありません。それゆえに、韓半島に絡み合っているこのような天の摂理をよく知っている私の夫、文鮮明総裁は、皆さんがよく御存じのように、1991年12月初め、7日間の北朝鮮訪問を決行し、北朝鮮の統治者金日成主席と会って韓半島の統一問題に関連した天のみ旨、天命を通告したのです。

 「『主体思想』では南・北韓を統一することはできない。文総裁が提示する『神主義』と頭翼思想である『統一思想』によってこそ南・北韓が平和的に統一され、全世界を主導することができる統一韓国となる」と説破され、彼らの常套句になっている6・25北侵説に対しても、6・25は、南侵であると正面から激しく反駁したのです。(韓鶴子 1992「理想世界の主役となる女性Ⅱ」)(『真の家庭と世界平和』58)

 金日成主席はそのような文先生に対して、文先生は自分よりも腹が大きいと感じて、かえって文先生に魅力を感じたのです。

 天下に自分が第一だと思っている金日成主席に、「主体思想とは何か。立場を譲りなさい」と、誰が言えますか。かえってその言葉に魅力を感じているのです。自分が一番だと思っていたのに、文総裁は私よりも腹が大きいと思ったのです。……私がソ連に行った時も、ゴルバチョフに一言の称賛もしませんでした。(文鮮明 1992.2.5, ソウル)(『祝福』1992,32〜33)

▲文鮮明先生御夫妻と金日成主席

 その後、金日成主席より「文師と一回会ったけれど、もう一度会いたくなった」という便りがありました。文先生は金日成の親の立場に立ったのです。

 今回、金日成と会って帰ってきましたが、金日成といえば私を何回も殺そうとした人物なのです。彼と会うとき、私は少しも怨讐であるという気がしませんでした。もし、怨讐ということを考えたならば、彼との間に壁ができてしまいます。ですから、その壁を崩して入っていったのです。

 最近、彼から便りがあり、「文師と一回会ったけれど、もう一度会いたくなった」ということです。そんなに敵でありながら、どうして、敵ではない立場に立つことができたのでしょうか。金日成にお父さん、お母さんがいれば、彼がどんなに悪人であっても、許してあげたいというのが親の心です。父母が自分の子供に対して、あらゆることを忘れ、愛の心を持つと、その子供は常に自分の足りなさを感じて反省するようになるのです。そのように、先生は金日成の親の立場に立ったのです。(文鮮明 1992.1.1, ニューヨーク)(『ファミリー』1992.4,16)

 文先生は、127日、北朝鮮からの帰路、北京空港で「北朝鮮から帰って」と題して、次のようなメッセージを発表しました。

 私は今回、妻と共に北朝鮮政府の招請を受けて平壌(ピョンヤン)を訪問いたしました。これは、私が北朝鮮を最後にした1950年12月から、満40年10カ月ぶりに実現した歴史的機会でした。私は北朝鮮に対して恨(恨み)が多いといえばだれよりも多い人間です。私が宗教指導者だという事実と、一貫した反共の信念のため、北朝鮮政府から到底話すことのできないような圧迫を受けた者です。私は到底言い表すことのできない拷問を受けて、3年近くの興南(フンナム)監獄生活で多くの罪なき囚人たちが死んでいくのを見ました。一言で言えば、私が今日、健在だということは一つの驚くべき奇跡であり、ただ神様の特別な加護と恩賜によるものでした。

 私は統一教会の創始者として、真の愛の精神で北朝鮮に行ってきました。真の愛というのは、愛することができないものまでも愛する精神です。イエス様も「汝の敵を愛せ」と言われたではありませんか。今回、平壌に行った私の心情は、秋の空のように晴れ渡ったものでした。怨讐の家に行くのではなく、私の故郷、私の兄弟の家に行くようでした。「許せ、愛せ、団結せよ」という私の終生の信条を持って、北朝鮮の地を踏みました。

 私は過去40年の東西冷戦時代に、誰よりも徹底した反共の指導者であり、「国際勝共連合」の創始者として、半生を勝共闘争にささげてきたことは、世界がみな知っております。しかし、私の勝共思想は共産主義者を殺す思想ではなく、彼らを生かす思想、すなわち人類救済の思想なのです。(北京空港での文先生のメッセージ「北朝鮮から帰って」1991.12.7)(『ファミリー』1992.8,76〜77)

 文先生は金日成の主体思想には、神がいない、真の愛がないと言って批判されます。

 主体思想とは何ですか? 創造性、それから何ですか? 意識性です。それから何ですか? 自主性です。それが神様と何の関係がありますか? それは相対的概念です。本来、根本自体を解決できる何の内容もありえないのです。自主性、創造性、意識性、その上にあるのが真の愛です。(文鮮明 2006.3.29, 韓国・清平)(『ファミリー』2006.6,7)

 ところが金日成の主体思想は、驚くべきことに、外見上、文先生の統一思想によく似ているのです。したがって文先生は、「金日成の思想は神様だけ受け入れるようになれば、完全に我々の思想とぴたっと合う」、と言われます。サタンは神の摂理を先取りして、原理型の非原理世界を造ろうとするから似ているのです。ということは、北朝鮮が神を受け入れるようになれば、金日成の主体思想は文先生の統一思想と一つになれるということを意味しているのです。

 金日成はいくら韓国の宗教や宗教協議会の人々が来ても相手にしないというのです。いずれ宗教を受け入れるには、彼らの思想体系と最も近いものを受け入れようと考えるのです。金日成の思想は神様だけ受け入れるようになれば、完全に我々の思想とぴたっと合うのです。金日成が、「文先生の思想を私たち北側で適用することを許諾しますか、しませんか」と言う時、「私が許諾しなければどうするのですか」と言ったところ、彼が「頼んででもしなければなりません」と言ったのです。このような言葉は真に偉大な言葉です。(文鮮明『真の御父母様の生涯路程⑨』310〜311)

 文先生の訪朝の直後、1213日、ソウルで開かれた南北首相会談において、歴史的な合意文書──「南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書」と「朝鮮半島非核化共同宣言」──が調印されました。これはベルリンの壁の崩壊に匹敵するほどの劇的な展開でした。

 しかしなぜ、突如として、このような事態に至ったのか、大きな謎でした。タス通信のジェービンは「それにしても、不倶戴天(ふぐたいてん)の仇同士をして、これほどまでに過激な、おおかたの観測筋にとっては予想外の妥協に走らしめた原因は、いったいどこにあるのか?」(『私が見た金王朝』文藝春秋、311)と問うています。そしてその結果、「冷戦が人類に残していった最後にして最大の難攻不落のバリケード」(同上、310)が崩壊する兆しを見せたのです。言うまでもなく、文師と金主席との劇的な出会いが、このような南北の歴史的な雪解けをもたらしたのです。

---

 次回は、「ソ連帝国の崩壊」をお届けします。お楽しみに!



「一気に読んでしまいたい!」というあなたへ

『日はまた昇る 蘇る日本』を書籍でご覧になりたいかたは、コチラから