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スマホで立ち読み Vol.22
『日はまた昇る 蘇る日本』14

統一思想研究院・編著

(光言社・『日はまた昇る 蘇る日本』〈2012101日初版発行〉より)

 スマホで立ち読み第22弾、『日はまた昇る 蘇る日本』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
 1960年代から80年代にかけて日本と世界の共産化の危機を救ったのは、文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の勝共運動だった! 本書では文総裁の歩みを紹介し、共産主義の理論の批判と代案を提示するとともに統一思想の観点から見た日本再生のビジョンを提唱します。

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Ⅰ 共産主義の終焉と天一国時代の到来

13)ゴルバチョフ大統領との会談

 文鮮明師は1976年のワシントン大会において、モスクワに行くことを宣言されましたが、それが現実のものとなりました。1990410日から13日まで、第11回世界言論人会議がモスクワで開かれ、411日、文鮮明師とゴルバチョフ大統領の会談が行われたのです。「文鮮明師、モスクワで世界言論人会議を開催! ゴルバチョフ大統領と会談!」。この驚くべきニュースは、衛星通信や外電を通じ、一瞬にして全世界を駆け巡りました。かつては勝共の指導者として、ソ連にとっては世界で最も好ましからざる人物とされていた文師が、ゴルバチョフ大統領と会見したという重みを、誰もが知っていたからです。

 共産主義イデオロギーが求心力を失い、無政府状態に陥りかねない多民族国家のソ連における改革の成功は、正しい宗教精神に立ち返り、精神復興によって初めて可能になる、と文師は訴えました。人間は、その良心の教えに従うべきであり、新しい思想による改革が必要であると強調されたのです。

 金日成(キム・イルソン)とゴルバチョフは19872月にモスクワで「文総裁暗殺計画」を立てていました。したがって、文先生がソ連を訪問するのは命懸けのことでした。

 金日成は1987年2月にモスクワへ行って、ゴルバチョフ大統領と会い、「文総裁は共産世界崩壊のチャンピオンであり、ソ連帝国の滅亡、共産主義の崩壊を計画している。取り除かなければならない」と話しました。世界で一番悪い者は私だと言うのです。(文鮮明 1990.7.1, ソウル)(『ファミリー』1990.10,25)

 どれほど文総裁を殺そうとしたでしょうか? 金日成とゴルバチョフが1987年2月にモスクワで「文総裁暗殺計画」をして、日本の赤軍派25名を先生が持っている米国の別荘に送ろうとしました。……それにもかかわらず暗殺計画をしたゴルバチョフを生かそうと私が訪ねていきました、米国のCIA(中央情報局)は「文総裁、行ってはだめです。まだ[赤軍派の]菊村事件が起訴もされず、調査中なのに、その親分たちが住んでいて、文総裁の来るのを待っているのですから、そこに行ってはだめです」というのです。

 行くか、行かないかは私が決めることで、米国のCIAとFBI(連邦捜査局)が何の関係があるかといって、死地に一人で飛び込んでいったのです。よくやりましたか、よくやりませんでしたか?(よくやりました)。死ぬ場所だと分かっていながらも訪ねていったので、ゴルバチョフが一度会ってみようといったのです。そのようなことを知っているので、死亡の峠を越えてゴルバチョフと奥の間で会って、「あなたはこれをするのか、しないのか」と詰め寄ったのです。(文鮮明 1995.1.1, 韓国・中央修練所)(『ファミリー』1995.3,27〜28)

 文先生はゴルバチョフ氏に、ソ連には精神革命である新しいルネサンスが必要であると説き、共産主義唯物論を放棄し、レーニンの銅像と、マルクスの銅像を撤去するように言いました。

 先生はゴルバチョフに、レーニンの銅像と、マルクスの銅像をも撤去するように言いました。共産党の歴史上、そのようなことを言った人物は、レバレンド・ムーンしかいません。ソ連の共産党幹部たちはみな「我々の前で神主義を語るとは、なんと傲慢なことだろう」と騒ぎました。(文鮮明 1990.4.30, 韓国)(『成約人への道』239)

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 次回は、「金日成主席との出会い」をお届けします。お楽しみに!



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