2023.05.18 22:00
勝共思想入門 38
アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)
光言社・刊
第十章 搾取の本質(その一)
四 新しい言葉の惑わし
このために、マルクスは都合の良い概念を使用しました。それが「不変資本」と「可変資本」という言葉です。変わらない資本、変わる資本ということです。
商品を生産するためには二つの要素、労働力と生産手段(機械、原料、工場等)が必要です。ここでこの二つの要素に対して資本家は資本の投入をするわけですが、生産手段に投入された資本は全く新しい価値を生み出さず、自分自身の価値(機械自身の価値、原料自身の価値等)を商品へと移すだけだと主張しました。それゆえに、生産手段に投入された資本は変わらない資本であるとされて「不変資本」と表現されたのです。
それに対して、労働力に投入された資本、これは賃金として労働者に支払われるわけですが、この資本は新しい価値を生産するというのです。つまり、投入した資本以上の価値を生産すると見るのです。それでこの資本のことを変化する資本、「可変資本」と呼んだのです。
問題はなぜこのように言えるのかということです。まず、生産手段は新しい価値・利潤の要素を生み出さないということについてです。生産手段のうち原料などは、新しい価値を生み出すというより、生産工程の中で変形されて商品となって行くので、不変資本といっても納得できますが、機械までも新しい価値を生産しえない、利潤生産はできないと言われるとちょっと首をかしげたくなります。マルクスの説明を記してみましょう。
「機械は価値を創造しはしないが、しかし、機械を用いて生産される生産物に機械自身の価値を引き渡す」「機械は、自分が損耗によって平均的に失なって行く価値よりも多くの価値は決してつけ加えない」「機械は、始めから、人間的搾取材料、つまり資本の最も個有な搾取領域を拡張すると同時に、搾取度をも拡張するであろう」。
これらのマルクスの言葉は『資本論』の中に記されているのです。まとめてみれば、機械は新しい価値の生産はしない(利潤の要素の生産はしない)で、ただ労働力の搾取(さくしゅ)を強めるのみであるということになります。マルクスのこの見解を証明するための詳しい説明は何もないといってもよく、既に述べたように「公理」として扱われているのです。その真偽を問うことのできない大前提となってしまっているのです。
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次回は、「批判されるべき点/機械の本質」をお届けします。
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