2023.04.26 22:00
スマホで立ち読み Vol.22
『日はまた昇る 蘇る日本』11
統一思想研究院・編著
スマホで立ち読み第22弾、『日はまた昇る 蘇る日本』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
1960年代から80年代にかけて日本と世界の共産化の危機を救ったのは、文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の勝共運動だった! 本書では文総裁の歩みを紹介し、共産主義の理論の批判と代案を提示するとともに統一思想の観点から見た日本再生のビジョンを提唱します。
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Ⅰ 共産主義の終焉と天一国時代の到来
(10)韓国八大都市の全国勝共決起大会
その頃、文先生はシカゴで開催された「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)を主宰されていました。会議が終わり、シカゴを発(た)って韓国への帰途に就かれるとき、文先生は世界が危機的状況にあることを霊的に察知されました。そして急遽(きゅうきょ)、韓国八大都市で全国勝共決起大会を開くことを決定されました。そしてこの大会には世界72カ国の教授たちが参加しなければならないと指示され、スタッフたちが帰途に就いていた教授たちを追いかけて、「韓国でとても重要な大会がありますから、ぜひ参加してください」と呼びかけました。
教授たちは何のことかよく分かりませんでした。しかし文先生が言われる、そんなに重要な大会であるならばと、多くの教授が故郷に帰らないで韓国に向かいました。大会を開いて何になるかと思われるかもしれませんが、共産主義の背後は悪霊界ですから、大会は霊的な闘いの場になるのです。72カ国の教授たちは善なる天使の役割であり、悪霊界と闘うために参加したのです。
シカゴで開催された「科学の統一に関する国際会議」に参加した彼ら(72カ国の学会の指導者たち)は、11月29日からシカゴを発って帰途に就きました。先生は12月3日韓国に向けて出発したのですが、その時空港で指示したのです。それを聞いた時、それらの学者のうち3分の1は、まだ自分の国に到着してもいませんでしたが、先生が北韓の獄中で12弟子を見つけたのと同じように、信仰をもって韓国まで先生を慕って来た忠実な学者たちでした。(文鮮明 1984.1.15, ニューヨーク)(『祝福家庭と理想天国Ⅱ』998)
1983年12月14日から、韓国の八大都市で全国勝共決起大会が開かれました。この大会には日本から景山哲夫・近畿大学学長や金山政英・元駐韓大使も参加され、その迫力あるスピーチで大会の成功に大きく貢献されました。12月23日の日曜日、最後の8番目の大会が光州で開かれました。光州は反体制的な左翼勢力の最も強い所で、サタンは何とか大会を阻止しよう、あわよくば文先生を亡き者にしようとテロリストを配備して狙っていました。ところが開会1時間前に会場が超満員になったために、これ以上は危険だということで、警官が門を閉めてしまいました。間際に侵入しようとしていたテロリストは入場できなくなってしまいました。
八大都市の全国勝共決起大会は無事に勝利しました。その後、ソ連のアンドロポフは体調を崩し、翌年2月9日に死去しました。大変なことになるのではないかと危惧していたKGBの要員たちは、やれやれと胸をなでおろしたというのです。
1984年2月のアンドロポフの死後、西側からのいかなる脅威よりも、モスクワ中枢の妄想的な警戒の方を心配していたKGBの要員たちは、アメリカやNATOにたいする、もっと穏かな見解が生まれたことに胸をなで下した。(オレグ・ゴルジエフスキー、TIME 1990.10.22)
既成キリスト教や韓国政府の意に反して、八大都市の全国勝共決起大会は大きな成功を収めました。そしてこの成功は、ソ連のミサイルによるKAL機撃墜事件や、ビルマのアウンサン廟における全斗煥(チョン・ドゥファン)韓国大統領一行に対する爆弾テロによって、意気消沈していた韓国国民に希望を与えるものとなりました。
今回の韓国における勝共大会は、歴史的かつ世界的なものです。これによって共産主義に対する全く新しい方向牲が与えられることになったからです。韓国の既成教会は、レバレンド・ムーンが勝共大会を開催するということを聞いた時、統一教会に反対していた彼らは困ってしまいました。もし反対すれば、人々から「共産主義に賛成するのか」と言われるので、今回ばかりは、レバレンド・ムーンのすることに反対できませんでした。韓国政府も、「この12月に大会をするなんて大きな誤りだ、大きな体育館を借りたところで、半分はがら空きになるだろう、1万5000名が集まる広場で、1500名か2000名くらいしか集まらなくて、レバレンド・ムーンは面目を失うだろう」と考えていたのでした。しかし大会が予想外に成功したので、ショックを受けてしまいました。北韓の金日成(キム・イルソン)政権を倒して、南北を統一することができるのは、統一教会とレバレンド・ムーンだけだと国民は知っていましたが、それを示すことになりました。(文鮮明 1984.1.15, ニューヨーク)(『祝福家庭と理想天国Ⅱ』999)
それまで韓国国民はKAL機撃墜事件や、ラングーンでの閣僚爆殺事件によって、意気消沈してどうしていいか分からずにいたのが、レバレンド・ムーンによって希望と目標を与えられ、元気を回復したのです。ソ連と北韓は主体と対象の関係にあり、KAL機の撃墜事件は主体であるソ連によって引き起こされました。このようにして二つの国が打ってきたのですが、レバレンド・ムーンが現れて10日間で国民の停滞したムードを変え、最高潮に引き上げてしまいました。また、グレナダにおいても、アメリカの救出作戦によって、共産陣営は西半球でも後退を余儀なくされました。1983年の12月は、これまでの歴史上かつてなく白熱した重要な月となったのです。1983年は、1945年から1985年までの40年荒野路程の最後の3年間の最初の年ですので、それが終わる時に抵抗を受けるようになっているのです。(文鮮明 1984.1.15, ニューヨーク)(『祝福家庭と理想天国Ⅱ』1002〜1003)
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次回は、「共産主義の終焉を宣言」をお届けします。お楽しみに!