2023.03.29 22:00
スマホで立ち読み Vol.22
『日はまた昇る 蘇る日本』7
統一思想研究院・編著
スマホで立ち読み第22弾、『日はまた昇る 蘇る日本』を毎週水曜日(予定)にお届けします。
1960年代から80年代にかけて日本と世界の共産化の危機を救ったのは、文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の勝共運動だった! 本書では文総裁の歩みを紹介し、共産主義の理論の批判と代案を提示するとともに統一思想の観点から見た日本再生のビジョンを提唱します。
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Ⅰ 共産主義の終焉と天一国時代の到来
(6)共産主義の台頭と国際勝共連合の創設
第二次大戦後、燦然(さんぜん)と輝いていたキリスト教でしたが、やがてその輝きが消えていきました。代わって輝き始めたのが共産主義でした。特に日本において、共産主義は燎原(りょうげん)の火のごとくに広がっていきました。日本が共産化されたら韓国は北朝鮮、中国と日本に囲まれて、ひとたまりもありません。そこで文先生は共産主義と闘うことを決意されました。
1967年、文先生は「共産主義は8代を越せない」と語られています。8数は1周を意味しているからです。実際、レーニン、スターリン、マレンコフ、フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコから、8代目のソ連共産党書記長のゴルバチョフの時にソ連は崩壊したのです。
文先生はさらに、「共産主義は、国際共産主義から民族的共産主義になり、民族的共産主義は分党的共産主義になる」、「共産党は、73年間が過ぎれば滅びる」と語られました。実際、1917年のロシア革命から73年が過ぎた翌年の1991年にソ連は崩壊したのです。
1968年1月13日、韓国で「国際勝共連合」が創設されました。日本でも同年4月1日、久保木修己氏を会長として、「国際勝共連合」が創設されました。時を同じくして、2月25日、文先生の弟子である李相軒(イ・サンホン)氏が執筆した勝共理論、『新しい共産主義批判』が刊行されました。李相軒氏は高等普通学校の時代に、共産主義者の独立運動に参加した経歴があったので、共産主義の理論を熟知していました。そして氏は文鮮明師が解明された統一原理に基づいて、共産主義を批判克服する理論を体系化したのです。3月2日に、日本語版の『新しい共産主義批判』が発行され、この本をテキストとして勝共運動が展開されるようになりました。
日本は当時、大学界は左翼一色になっていました。そして東京、京都をはじめとする六大都市の知事はみな左翼が占めていました。自由主義で反共の自民党は農村地帯に地盤を置いて、かろうじて政権を維持している状況でした。
そうした時に、500人足らずの青年・学生たちで出発したのが国際勝共連合でした。勝共運動は全国一斉にスタートしました。勝共会員たちは「共産主義は間違いである」と街頭で訴えました。大学内では、統一教会の学生組織である原理研究会のメンバーが勝共理論の講義を行い、共産主義の学生たちと壮烈な戦いを展開しました。
1968年4月、美濃部東京都知事が、私学審議会の答申に反して、朝鮮総連による朝鮮大学校を独断で認可しました。そのため、その認可取り消し運動が1968年7月から始まりました。3人の勇敢な女性勝共会員が朝鮮大学校の正門前で共産主義の間違いを訴え続けました。そのため、朝鮮大学校の職員らに集団暴行を受けるなど、陰湿な妨害が続きました。彼女たちは決死の覚悟で3年の間、勝共理論講義を朝鮮大学校の学生に向かって訴え続けました。
1975年4月、カンボジアと南ベトナムが相次いで共産化されました。日本国内でも、ベトナム戦争反対を叫んでいた左翼勢力は最高に盛り上がっていました。その時、このままではアジア全体が共産化されてしまう危機的な状況を迎えていたのです。
文先生は5月1日、韓国の清平にて、「今日、ベトナムが共産圏内に屈服したことは、一つの祭物として、共産世界が、韓国をはじめとして世界に、神の前に、屈服し得るように、再び蕩減してあげられる起源になることを、切にお願い申し上げます」(『祝福家庭と理想天国Ⅱ』431)と祈られました。
この危機に対処すべく、文先生は6月7日、ソウルのヨイド広場で「救国世界大会」を開かれました。世界60カ国の代表千余人を含む120万人の大集会となりました。そこで文先生は「共産主義は神を否定する恐るべき思想であり、人類を誤った方向に導くものです。これに打ち勝つには、真理に立脚した次元の高い精神的理念と思想武装によらなければなりません」と訴えられました。
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次回は、「アメリカよ、蘇(よみがえ)れ!」をお届けします。お楽しみに!