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シリーズ・「宗教」を読み解く 260
キリスト教と日本㊴
ヘボンの功績

ナビゲーター:石丸 志信

 米国聖公会の宣教師、チャニング・ムーア・ウィリアムズが来日した1859年、10月には米国長老派教会の外国宣教局から派遣されたジェームス・カーティス・ヘボンが来日。横浜で医療宣教師であった彼は、施療所を開設し、医療活動を開始した。


▲ジェームス・カーティス・ヘボン(ウィキペディアより)

 同年、米国オランダ改革派教会の海外伝道局から、サミュエル・ロビンス・ブラウン、デュアン・B・シモンズ、ギドー・フリドリン・フルベッキの三人の宣教師が派遣された。
 1861年には、シモンズに代わってジェームス・ハミルトン・バラが同会から派遣されて来日している。

 ヘボンとブラウンらは、派遣元の会派は違ったが、いまだ禁教下にあった日本での宣教再開に向けて、協力して準備を進めていく。彼らはいずれも先に中国での宣教活動に従事した経験があり、日本で信教の自由が許されることを願っていた。

 ヘボンは時に備えて日本語の習熟に努める傍ら、和英・英和辞書の編集に取りかかる。
 彼は日本語のローマ字表記を英米式に改めた。これが「ヘボン式ローマ字」として普及することになる。そして1867年に27,000語の和英・英和辞典『和英語林集成』を出版した。

 彼は、この労作を、日本における8年間の活動の成果の一部であり、日本のために成し得た最上の宣教事業の一つと自負している。
 ヘボンはさらに新約聖書の翻訳にも力を尽くし、1872年から73年にかけて、マルコ、ヨハネ、マタイの三つの福音書を翻訳出版した。

 ヘボンは、英語のできる役人を養成したい幕府の願いに応えて9人の青年に英語を教授することになる。その中に、村田六蔵、後の大村益次郎がいた。

 その後、英語塾(ヘボン塾)が開設され、ここで学んだ1期生に、明治維新後に外交官・政治家として活躍する林薫(はやし・ただす)、内閣総理大臣、大蔵大臣となる高橋是清らがいる。
 ヘボンが手がけた英語塾での教育事業は、後に、明治学院とフェリス女学院へと発展し継承されていく。

 ヘボンが来日した時の年齢は44歳。33年間の日本宣教で数々の成果を残し、77歳の時に米国に帰国。ニュージャージー州イーストオレンジに居を構えて静かな生活を送っていたが、1906年の春には宣教活動を共にした愛妻クララ夫人が永眠。1911年秋、彼も96歳の生涯を閉じる。

▲横浜居留地のヘボンの家(ウィキペディアより)

▲1890年に横浜で撮影されたヘボン夫妻の金婚式の記念写真(ウィキペディアより)


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