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スマホで立ち読み Vol.20
『要約 統一思想・勝共理論』17

統一思想研究院・編著

(光言社・『要約 統一思想・勝共理論』より)

 スマホで立ち読み第20弾、『要約 統一思想・勝共理論』を毎週金曜日(予定)にお届けします。
 膨大な内容で構成されている統一思想と勝共理論を、分かりやすく要約しました。統一思想で神について学び、勝共理論で神の存在を否定する共産思想の間違いについて学びます。

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第二部 勝共理論
第二章 唯物論の批判とその代案

三 唯物論の代案

 次は唯物論の代案になりえる存在論を一つ提示してみることにする。物質と精神は、現象世界においては範疇(はんちゅう)の異なる二つの実体であるが、その究極的原因は同一であると見ることができる。

 今日の素粒子物理学によれば、微視世界において原子を構成している素粒子の本質は、粒子形態をとっているエネルギーである。すなわち素粒子はエネルギーによって形成されている。そのエネルギーは波動性と粒子性を共にもっているが、それ自体は質量も形態もないものであり、物質とは確実に異なる様相で存在する。それは質量と形態がないという点では心的なものと異なることはない。言い換えれば、エネルギーの究極の原因と精神の究極の原因は同じものと見ることができる。これを唯一者と呼ぶが、それは心をもったエネルギーであり、エネルギーをもった心であると表現することができる。

 この唯一者から、あたかも一点から二つの方向に線を引くように、二つの方向に展開されて出てきたのが精神と物質であるといえる。精神がまずあり、物質がのちに生じたのではなく、物質から精神が生じたのでもなく、両者は究極の原因の世界においては唯一つであったと見るのである。このような存在論を「唯一論」と呼ぶことにする。(唯一論の立場から見れば、唯物論と唯心論はともに唯一論の一面のみを強調したにすぎないということができる。)

 精神と物質は、ただその方向が異なるだけで、一つの原因から出発したものであるから、常に互いに密接に相互作用を行っており、決して互いに離れて存在しない。この事実は、すべての発展は必ず精神的要素と物質的要素との授受作用によってなされるという授受法の理論の根拠になる。

 ところで、いくら精神と物質が唯一者から出発したものであるといっても、精神は理性であり自由性があるが、物質はただ受動性をもっているにすぎないために、両者の相互作用(授受作用)において、精神が主体であり物質に作用を及ぼしている。この唯一論も、もちろん一つの可能的な真理にすぎないが、唯物論や唯心論よりはさらに普遍妥当性があることが共産主義との対決を通じて明らかになった。

 そのように、精神は物質の産物であるということの根拠として、宇宙発展の事実と脳細胞の機能を例として挙げている共産主義の論証方式は、完全に独断であることを確実に知ることができる。唯一論によれば、宇宙の発展がいくら物質的な発展であるように見えても、その発展の背後に、あたかも植物の成長の背後に生命が作用するように、宇宙生命というべき心的要素が作用したものと見ることができる。また脳細胞で起きる精神現象も、脳細胞とその背後の心的要素との授受作用によって現れる現象であると見ることができるのである。

 こうして精神が物質の産物であって、物質をより重視しなければならず、人間も物質的存在つまり動物的存在であると見て、必要があれば殺してもよいという主張は、唯一論の主張、すなわち精神は物質の産物でなく両者の根源は唯一者であり、両者の相互作用においては精神が主体であり、人間は精神的存在であるから、個性、人格、尊厳性、自由などの精神的要素を尊重しなければならないという主張によって、十分に克服することができるのである。

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 次回は、「弁証法の武器性」をお届けします。お楽しみに!



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